僕の趣味は激安の海外旅行。
でも、昨年2月にブルネイ・コタキナバル(マレーシア)に行って以来、何処にも行けずにいる。
思えば、石油で潤うブルネイが、石油に依存しない観光立国を目指して航空路線を乗り入れたキャンペーンで航空券が安い上に、王族が利用する7つ星ホテルにも1万円で泊まれちゃう面白いツアーだった。
でもすでに、中国からの観光客は締め出され、コロナ禍の第1波が始まる直前だった。
その後、コロナは世界に蔓延し、海外旅行どころか国際線の運航そのものが停止した。
期せずして僕たちは、現代版の「鎖国」を経験することになったわけだ。
だが面白いことに、外国に行けなくなったことが、自分に「なぜ外国に行きたいのか」を問うきっかけになった。
これまで僕は、この問いにいつも「外国に行くのは自分が外国人になれるから」と答えていた。
だから今度の問いは「なぜ外国人になりたいのか」という意味を持つ。
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今年の5月、ひょんなきっかけで壱岐と対馬を訪ねる旅行に誘われた。
外国には行けないが、離島は紛れもない海外なので、僕はこの誘いに飛びついた。
そして案の定、2つの島はよその国だった。
僕は横浜から来たよそ者だが、コロナ禍に関わらず対馬や壱岐の方たちはよそ者を温かく受け入れて下さった。
そして、対馬の方たちから「日本から来る人は珍しい」と言われ驚いた。
対馬について事前に調べるなかで「国境の島・対馬を守れ」的な本を多数見かけたが、対馬から見るとまるで香港に口を出す中国だ。
対馬の人に韓国人観光客のことを訪ねると、「彼らは大切なお客様だし、対馬を愛してくれる」という。
たまたま滞在中の韓国人がいたので、「韓国から見た対馬の魅力は何ですか」と尋ねたら、「何といっても自然が素晴らしい、毎年大勢の人がトレッキングしに訪れます」とのことだった。
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11月には友人のK君に誘われて、佐渡を訪れた。
彼は子どものころ、金山で有名な相川に住む祖母の家で毎年夏休みを過ごしたこともあり、自分のビジネスを持ち込んで佐渡を盛り立てたいという。
そしてK君の父が働いていたホテルに泊まり、K君の祖母の差し入れてくれたサザエを食べ、K君の祖父が務めた銀行の前を通るうちに次第に相川に愛着がわいてきた。
世界遺産認定に向けて盛り上がる佐渡金山の「山師ツアー」を満喫した後、ガイドの青年に出身地が「相川」だと判ったとたん、テーマパークにしか思えなかった金山のリアルな当事者に会えた気になった。
そして、相川以外の集落を訪ねながら、K君自身も佐渡という国を再発見していった。
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そして先週、39回目の結婚記念日を口実に、カミさんと二人で奄美大島を訪ねた。
ここは7月に世界遺産になったばかりだが、コロナ禍に加え海岸に打ち寄せる軽石の影響もあり、今年は散々な1年だったようだ。
名瀬市中心にある屋仁川通りには、そこここのスナックからカラオケの歌声が鳴り響き、地方都市としては珍しい賑わいを見せていた。
だが、営業を終えた料理屋から出てきた女将を捕まえて話を聞くと、「この通りはかつて、肩がぶつかり合うくらいの鹿児島県で2番目に賑わう通りだった」とのこと。
時代の変化を免れる場所は、どこにもないのかもしれない。
かつて、奄美大島を代表する産物だった「大島紬(おおしまつむぎ)」も、着物文化とともに衰退の一途をたどっている。
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国づくりを標榜する僕にとって、外国人とは「よそ者」を意味している。
日本は一つの国と思われがちだが、決してそうではなく多くの国の集まりだ。
同じ国の仲間であると同時に、いろんな国のよそ者同士だから「総論と各論」が生まれてくる。
そうではなくて、世界には様々な総論があると考えた方が良いのではないか。
そのためには、日本を一つの国と思わずに、多くの国が集まる小さな世界と思いたい。
一部の人をよそ者扱いにするのでなく、一部の仲間を除くすべての人をよそ者と思い、よそ者ともうまく付き合える社会を目指すべきではないだろうか。