恥を知れ

今年3月、名古屋市港区の名古屋出入国在留管理局で、収容中だったスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさん(当時33歳)が亡くなった。

出入国在留管理庁は10日、名古屋入管の対応などを検証した最終調査報告書を公表したが、職員のからかいなど「人権意識欠ける」としたものの、処遇と死亡の因果関係には触れず、「仮放免を認めなかった判断」を不当とはしなかった。

この扱いに、ウィシュマさんの親族はもちろんのこと、多くの人が憤りを感じている。

なにしろ、全国の入管施設では2007年以降、17人が亡くなっており、一施設の不祥事と捉えることはできない。

ウィシュマさんの問題は、残留資格を喪失している一方で、「DVを受ける恐れ」という帰国を拒む理由があることだ。

つまり、帰国できない理由を持つ「難民」と呼ばれる人たちをどうするかという問題だ。

日本で難民と認められる例は先進国中極端に低いとされるが、難民認定制度への申請は何度でも可能だ。

その上、申請中は本国に強制送還されず在留資格を持てば就労も可能であることから、出稼ぎ目的で来日する「偽装難民」も後を絶たない。

さらに言えば、帰国すると迫害を受けることにも理由があり、国家から危険視される人物を難民として匿うことなるのでは、受け入れ難いこともある。

だが、そもそもなぜ、不法入国者に対する虐待は行われるのか。

上川陽子法相は記者会見で「生命を預かる収容施設で尊い命が失われたことに心からおわび申し上げる。送還することに過度にとらわれるあまり、人を扱っているという意識がおろそかになっていた」と述べた。

この発言から、送還(帰国)を促すためという虐待の理由が推察される。

だが、理由があること自体、それを正当化しようとする考え方の表れだ。

虐待という行為の是非に気を取られ、それを正当化する理由の是非についての議論はきちんとなされていると思えない。

虐待を絶対悪と決めつけて、その理由を封じ込めることがむしろ、新たな虐待を生み続けているのかもしれない。

コロナやオリンピックの対応に追われ、すでに目が泳いでいる菅総理だが、いじめと聞けば、僕は必ず彼を思い出す。

2007年夕張市が560億円の債務超過で破たんした際、僕は内閣府特区担当のK専門員の私的要請を受け、当時の後藤市長を励ましに夕張を訪れたことがある。

当時は東京都を含む多くの自治体が実質債務超過状態にあるだけでなく、国家の財政も悪化し続けていた。

地方自治体を統括する総務省としては、財政破たんによる債務減免の連鎖を食い止めるには、自治体の破綻宣言を回避するしかない。

夕張市はその見せしめとして、破綻宣告を迫られたうえに、何処からも支援を受けられないいじめを受けることになった。

Kさんが言うには、「夕張市が財政再建の切り札として特区担当を訪ねてきたら、冷たく門前払いせよと総務大臣から指示を受けた」とのこと。

霞が関の至る所に同様の指示を徹底した、当時の総務大臣は今の菅総理。

当時の僕は、これを明らかな「いじめ」と解釈し、「後藤市長に菅大臣」への反撃を提案した。

当時夕張市の負債が13,000人市民一人当たり43万円だったのに対し、日本政府の国債発行残高681兆円は国民一人当たり53万円になっていた。

「560億の負債を360億に減免する代わりに、20年間で完済する再建計画を、2008年3月中に提出せよ」という菅総務大臣に対し、「ならば日本国民に対し、国債残高を20年でどれだけ減らせるのか、日本の再建計画を3月中に提出せよ」と要求して刺し違えようではないかと。

もちろん、こんな提案は受け入れられるはずもなく、後藤市長は夕張の焼き鳥屋で泣いていた。

だが、破綻から14年が経過して、あと6年で債務のなくなる夕張市に対し、日本政府の国債残高は当時の2倍以上に膨らんでいる。

いじめや虐待を隠れ蓑にする張本人は一体だれなのか。

秘密だの保護だのと、法律を悪用し、資料の改ざんや映像の編集を繰り返す合法的な悪者たち。

何でも法律のせいにして、悪を放置(ほうち)するのが、この国が目指す「法治(ほうち)国家」だと僕は思う。

先日、NHKテレビでは、「軍人遺族だけを手厚く保証し、民間人の戦争被害を「びた一文保証しない」のは、それを許せば世界中の戦争被害を補償しなければならなくなる」と証言する元官僚を紹介していた。

恥を知れ。

今、8.15正午のサイレンを聞きながら、僕は嗚咽した。