有ると無い

の学校の出版に向け、図表の整備に取り掛かった。

これまでは、あくまで自作の資料として使用するだけだったので、文中に引用する写真はもちろんのこと、表やグラフなどはネットで画像検索し、気楽にパクって使用していた。

だが、正式に出版するとなるとそれは絶対に許されない。

すべての図表は、自作のもの以外はすべて出展を明らかにした上で、掲載の許諾が必要だ。

さらに言えば、図表の掲載には費用もかかるので、内容の理解に不要なものをそぎ落とす作業も必要だ。

初めは、生産性のない嫌な作業だと毛嫌いしていたが、いざ始めてみると新たな気づきに満ちた作業となった。

今日はそんな報告をしておこう。

最初の作業は、出展を明らかにすることだ。

そもそも情報とは、正しいことが必須であり、誤りや偽の情報を論拠に議論を進めるわけにはいかない。

僕の最大の情報源は、おなじみのWikipediaだが、その情報を論拠にしているわけでない。

多くの場合、自分の議論の見出しや出発点として参照しているにすぎず、その論証は自力で行っている。

だが、全ての情報の真偽を自力で確認するのは難しく、特に数値や事例については知ったかぶりするわけにはいかず、情報の出所=発信者を探すことになる。

結局、出所の真偽を確かめるには、同じ出所を持つ複数の情報を見つけるしかないので、根気強く検索を繰り返すことになった。

その結果わかったことは、出所が極めて少ないこと。

一つの検索ワードに対し、見つかるデータのほとんどは、同じ出所の数値や内容を転用していることが分かってきた。

でも考えてみれば、それは当然のことだろう。

国勢調査などの網羅性の高い大規模調査は、めったに行われるものではない。

空き家の戸数で有名な、「住宅センサス」という統計局による大規模調査では、約350万世帯の調査から統計処理によって6,000万世帯の動向を類推しているにすぎない。

実数調査でない限り、その数値の信ぴょう性は、調査者の属性に寄るしかない。

つまり、「国家機関が公表する数値」としての信ぴょう性を、そのまま読者に委ねるしかないわけだ。

一方、数値データの中には、もちろん実数データも存在する。

それは、全数調査というよりは、日常の業務処理で把握しているデータに基づく数値のこと。

住民基本台帳や、戸籍登録上の人口データ、そして固定資産税台帳により把握されている土地所有者や土地面積に関する情報だ。

つまり、そこに実数データがあるということは、国家や社会が何らかの目的をもってそのデータを管理していることを意味している。

地主の学校に出てくる「所有者別国土面積」は、官(国、都道府県、市区町村)と民(法人、個人)がそれぞれどれくらいの土地を所有しているかというデータだが、様々な行政機関の講評データの寄せ集めで、その他(不明部分)が20%を優に超えてしまう。

これは、測量誤差だけでなくそもそも未測量部分が含まれており、日本は国土の所有者を把握していないことになる。

また、先ほど述べた空き家の戸数だが、ドイツでは実数を把握しているようだ。

そもそも、自治体ごとに建設年月と住宅規模を把握していて、これらを基に住宅政策を立案しているという。

日本だって、すべての新築工事の確認申請を受理しているのだから、その気になれば詳細な情報把握は可能なはず。

だが、住宅の実態把握はもちろんのこと、それに基づく供給計画など一切存在せず、新築工事は無制限に行われ、空き家は増え続けている。

先日、建築家山本理顕氏のシンポジウムを開催したが、その中で我が国の公営住宅供給が先進諸国の中でも飛びぬけて低いことが紹介されていた。

同氏の「カジノ抜きのまちづくり」が抹殺されるのは、むしろ日本の「建設族」からの暗黙の圧力と言えるかもしれない。

こうして、僕のはじめた「データの裏付け調査」は、思わぬ気付きをもたらした。

つまり、他所の国にあるものが「日本に無い」という問題だ。

そこにある問題や課題に取り組むのは、一見わかりやすい話だし、それを無くすことが解決ならば、すぐに対処できるはず。

だが、「そこに無い問題」に取り組むには、「有るという解決」を指し示す必要がある。

これは、とても難しい。

新しいことをやるということは、そういうことかもしれない。