恩恵と犠牲

東京オリンピック開催を2週間後に控え、東京に4度目の緊急事態宣言が発令される。

3度目の宣言解除からたったの3週間ということで、鉄面皮で会見に臨む菅総理も、さすがに顔が引きつって見える。

その上記者たちの質問に答えようとせず、追加質問=議論を拒絶する菅総理を見て、またまたまたまた、失望の輪が広がっている。

特に「今回の発令が最後の発令になるのかどうか、見解をお聞かせください」という問いに対し、「ワクチン接種に期待したい」とはぐらかす。

僕はこのやり取りを聞いて、「リーダー(目的と意思)不在」を痛切に感じた。

恐らく彼は、緊急事態宣言など発令「したくない」のだろう。

そしてもちろんオリンピックを中止「したくない」。

だが、都議会選挙での自民党敗北を受け、秋までに行われる衆議院選挙に向けた打開策を講じなければならない。

本当の目的が、衆議院選挙での自民党勝利である限り、それを妨げることはできるだけ「したくない」からだ。

僕だって、そんな心情は容易に想像できるし、ある程度理解できる。

たぶん、相手の身になって考えられることは、人間の大切な能力だし、思いやりとは、まさにこのことを言う。

歯がゆいと思っていても、結局このウダウダ状態を容認看過してしまうのは、恩恵に対する反発と犠牲に対する同情が重なり合ってしまうためかもしれない。

だが、そう考えると、東京都の小池さん、担当大臣の丸川さん、JOCの橋本さん、そしてIOCのバッハさんにも、それぞれの目的と役割がある。

そして、オリンピックに出資するテレビ局やスポンサー、報道する人たちやボランティアメンバーたち。

極端に言えば、オリンピックに参加するアスリートはもちろんのこと、それを支える人たちやその活躍を見たいと願うすべての人たちに、具体的な目的と役割がある。

それ、オリンピックをさせることを最優先に考える人が見当たらない。

少なくとも、オリンピックの成功を最優先に考えるなら、どうするべきかという話は一向に聞こえてこない。

そもそもオリンピックの成功とは何なのか。

すべての関係者が恩恵を被ることか、それともすべての関係者が犠牲を払うべきものなのか。

今回のオリパラが、新型感染拡大に配慮して前例のない延期となったのは、感染拡大を防ぐことがオリパラよりも大切だったからなのか。

僕にはそう思えない、「世界がコロナに打ち勝った祝宴としてのオリパラを目指したい」と、あの時言っていたではないか。

なのに今、世界はそして日本は「コロナに打ち勝った」などと言えるのか。

コロナ禍の中、無観客でもいいからオリパラを「開催したことにする」ことが、「打ち勝つ」ことだというのだろうか。

世界がオリパラの延期を支持したのは、まさに「オリパラ開催よりコロナ克服を優先したこと」だったはず。

オリパラが開催できるから世界が平和なのでなく、世界が平和だからオリパラが開催できる。

つまり、世界平和を実証することこそが「オリパラの価値」だと、僕は今気が付いた。

我々がいかなる犠牲も厭わず、そして大いなる恩恵を受けるべきものは、オリパラそのものでなく、コロナ克服後の明るい世界を実現することだ。

互いが相手の立場を忖度する前に、全ての人がすべき「本当の目的」を取り戻さない限り、今回のオリパラは歴史的珍事として恥ずかしいレガシーになるだろう。