平均の恐ろしさ

先日NHKのクローズアップ現代で、「ファミリーオフィス」を紹介していた。

「ファミリーオフィス」とは、一般的に投資可能資産が1億ドル(約120億円)以上ある富裕層の家族のために投資管理などの資産運用を行う非公開会社のこと。

一族の富を成長させ永続的に発展・継承させることを目的としているが、銀行のように多数の人から資金を集める必要がないので、様々な公的な規制が無く「究極のプライベートバンク」とも呼ばれている。

この番組では、コロナ禍における様々な経済対策によって社会にばらまかれた資金が金融市場に流れ込む中で、手数料目当てに「ファミリーオフィス」の過激な投資ゲームに巻き込まれた野村HDなどが、巨額損失を被ったことを取り上げていたが、すでにこうした個人資産の運用額は500兆円とも言われ、富の偏在は進む一方だ。

今、ワクチン接種が先行する中国や欧米各国に比べ、日本の経済低迷を嘆く声が聞かれるが、「大部分の失敗」を補って余りある「一部分の成功」がもたらす「平均値」に、僕たちは惑わされていないだろうか。。

平均(または平均値)とは、数学において、数の集合やデータの中間的な値のことで、算術平均(相加平均)・幾何平均(相乗平均)・調和平均・対数平均など様々な種類の平均がある。

一般的には算術平均のことを単に平均といい、集合の要素の合計値を要素数で割ったものだが、集合の要素の分布に応じて様々な平均が使い分けられる。

ただ、今日の本題は「平均とは何か」でなく、「平均が意味すること」なので、もう少し話を進めよう。

数学から離れ、日本語の「平均」の意味を見渡すと、「不揃いでないこと」や「釣り合いが取れていること」などを思い起こす。

だが、先ほど述べた数学における「平均」は、あくまで「中間値」に過ぎず、その分布の均質性とは全く関係ない。

例えば、「平均的な収入」とか、「平均的な学力」という言葉があるが、それは単に全体の平均値周辺を意味するだけで、大多数を意味しているわけではない。

極端な例えだが、100人のうち50人が預金1000万円、残りの50人が預金0円だとすると、平均預金額は500万円となるが、実際に預金500万円の人は一人もいない。

格差の拡大とは、まさに「平均的な人」が減少することだ。

成功する人が豊かになり、失敗する人が貧しくなれば、当然の結果として「中間値としての平均」はいなくなる。

その上、多くの人々は中流という平均を好み、豊かになったことも、貧しくなったことも隠そうとする。

1958年(昭和33年)から始まった内閣府の「国民生活に関する世論調査」の中で、生活の程度を「上」「中の上」「中の中」「中の下」「下」の5段階に分けたところ、自らの生活程度を『中流』すなわち「中の上」「中の中」「中の下」を合わせた回答比率は7割を超えていた。

それが、1960年代半ばまでに8割を越え、日本の国民総生産 (GNP) が世界第2位となった1968年(昭和43年)を経て、1970年(昭和45年)以降は約9割となったという。

一方、同調査で「下」と答えた者の割合は、1960年代から2008年(平成20年)に至る全ての年の調査において1割以下となっており、このころまでに国民意識としての「一億総中流」が完成されたと考えられる。

だが、1999年(平成11年)以降は年収299万円以下の層と1500万円以上の層が増加する一方で300-1499万円の層は減少しており、現実には格差が拡大傾向を見せている。

中流意識とは、中流を実感しているのでなく、中流を望んでいると言った方が正しいのかもしれない。

ひとつ、平均に関する数字のマジックを紹介しよう。

国民の所得を①500万円未満、②500万円以上1000万円未満、③1000万円以上に分けた時、すべてのグループの平均所得が上昇していれば、国民の所得は増えたと言えるだろうか。

国民を、A2000万円、B1100万円、C600万円、D300万円、E150万円の5人としてみよう。

先ほどの3グループに分けると、それぞれの平均は ①AとB:(2000+1100)/2=1550、②C:600、③DとE:(300+150)/2=225 で、全体の平均所得は、(2000+1100+600+300+150)/5=4150/5=830万円となる。

次に、これらをすべて20%減額するとどうなるか。

まず5人の所得はそれぞれ、A1600万円、B880万円、C480万円、D240万円、E120万円となる。

先ほど同様3グループに分けると、①A:1600、②B:880、③CとDとE:(480+240+120)/3=280 となりすべてのグループで増加するのに、全体の平均所得は830×0.8=664万円となり、当然20%減少する。

これは「シンプソンのパラドックス」と呼ばれる統計学的な矛盾の事例で、母集団での相関と、母集団を分割した集団での相関は、異なっている場合があることを意味している。

つまり集団をいくつか分けた場合にある仮説が成立しても、集団全体では正反対の仮説が成立することがあるという訳だ。

どうやら、行政や官庁にとどまらず、起業やマスコミにまでこのテクニックが応用され、フェイクニュースの根拠などにも利用されているらしい。

本来、社会の格差とはビジネスのチャンスであり、その経済落差を活用するのが商売のはず。

だとすれば、貧富や格差を隠し、誰もが幸福を装うことは、むしろ経済の活力を奪い社会を停滞させるはず。

むしろ貧富の格差を顕在化し、金持ちが貧しい人を救う痛快なビジネスを生み出したいと僕は願う。

だから、平均に惑わされるのはやめよう。

誰もが違う格差だらけの凸凹を、楽しむ社会を目指したいと思う。