言葉の素性

「現代の土地所有者には、なぜ地主の自覚が無いのか?」・・・素朴な疑問から始まった「地主の学校」の執筆は、「地主制度が廃止され、土地所有者に変化したから」と論じることで、ひとまず完了した。

そして、身近な友人10名ほどにお願いしたその査読が、いよいよ締め切りの月末を迎え、戻って来始めた。

誤字脱字はもちろんのこと、論旨の分かりづらい点など、いずれも真っ赤に添削されているのだが、一つ看過できない指摘があった。

それは「地主の学校というけれど、そもそも地主について学びたいなどと、多くの人は思わないのではないだろうか?」という疑問だ。

確かに僕は、「所有者から地主になろう!」と言ってるくせに、「」や「所有」についてきちんと検証したわけではない。

これらの言葉に対し、僕が持っている「疑問」や「イメージ」を読者と共有することから始めなければ、共感を得られるはずがない。

そこでまず、「地主」をwikiで調べてみた。

「地主」という言葉は、「じぬし」でなく「じしゅ」と読まれ、その用例は8世紀ごろからあるようだが、制度上の正式名称としては10世紀ころ「地主職(じぬししき/じしゅしき)」と呼ばれる職として世襲されるようになったらしい。

この言葉は14世紀ころに他の言葉(下司職など)に吸収され消滅したが、12世紀ころに生まれた「名主職(みょうしゅしき)」が土地の個人所有でなく年貢などを徴収する荘園経営の役割を表すようになり、「名主」を統率する「大名」という言葉も現れた。

「名主」はあくまで中間管理職だったが、武士が「大名」として領地を統治するようになると荘園は消滅し、太閤検地で「名主」も消滅することになる。

そして江戸時代になると、村落にある程度の自治を付与し、「村役人」や「庄屋」が任命され、東日本の多くの地域で、村役人の筆頭を名主と呼ぶようになった。

結局、明治維新で廃止された「地主制度」とは、概念的な言葉に過ぎず、実際の制度改革は地域ごとに様々な言葉が使われた。

こうして調べてくると、地主という言葉は正式にはほとんど使われず、「土地を貸し付けて、それで得た地代(つまり「土地の貸し付け料」)を主たる収入として生活する人のこと」として定着したのは「明治維新以後のこと」と言える。

「地主から所有者に変化した」という僕の論理は、明らかに間違いであり、むしろ現代社会が生み出した「土地収益で財を成す特権階級」と言う方がふさわしいかもしれない。

次に調べた「所有」については、更に驚いた。

「所有」の読みは「しょゆう」でなく「あらゆる」だ。

「語源由来大全」というサイトによれば・・・

「あらゆる」は動詞「有り」の未然形「あら」に奈良時代に使われていた可能の助動詞「ゆ」の連体形「ゆる」がついたものです。

「ゆる(ゆ)」は、奈良時代以降は用いられておらず、「あらゆる」や「いわゆる」など、成句的なものにのみ残存しています。

漢文では「所有」が「存在しうる限りの」という意味で用いられており、「あらゆる」は「所有」を訓読して生じた言葉とされています。

・・・つまり、かつて中国から入ってきた「所有」という言葉は「しょゆう」でなかったことになる。

「所有(あらゆる)」、「所謂(いわゆる)」は、確かに文字と読みが対応しており、この説明には頷ける。

そこで今度は、google翻訳を試してみると、「中国語:所有⇒日本語:すべて」となるが、「日本語:所有⇒中国語:擁有的」となる。

つまり、「所有(しょゆう)」に対応する中国語は「擁有」であり、「漢字を使った日本語」ということになる。

それでは、「所有(しょゆう)」という言葉はいつ頃から使われるようになったのか。

もしかすると明治維新の頃、福沢諭吉などが取り組んだ翻訳作業の一環で生まれた言葉かもしれない。

そこでついに、僕はfacebookでこう呼びかけた・・・

誰か教えて!

【所有(しょゆう)】って言葉、いつごろ誰が作ったの?

ひょっとして明治時代福沢諭吉とか??

そしたらなんと、友人の「杉本浩一氏(感謝の実名!)」が答えを見つけてきた・・・

「明治時代、西洋の言葉を翻訳するために生まれた言葉で、そのまま中国に逆輸入されている「和製漢語」の一覧の中に「所有」ありました。」

http://www5b.biglobe.ne.jp/~shu-sato/kanji/waseikango.htm

こちらには、「オーナーシップ」を訳した言葉、とあります。

さらに、「」という単語は、中国の外来語辞典に載ってるとのこと。

松村さんビンゴですね。

ただこれ以上詳細は見つけられず。

改めて、とんでもない翻訳作業だったんだなと再認識しました

http://www.honyaku-tsushin.net/ron/bn/maiji.html

今回の出来事が教えてくれたのは、言葉の素性(どうやって生まれたか)の大切さだ。

現在行われる過去の説明には、その時代に存在しなかった言葉も使われていることが多い。

つまり、昔のことを今の知識と目線で語っており、決して当時の議論ではない。

ましてや、「所有」のように外国語の翻訳として生まれた言葉は、「言葉だけ」でなく「考え方そのもの」を輸入したことを忘れてはならない。

今日僕は、「地主」と「所有」の素性を知ったことで、迷うことなく「地主の学校」の書き直しに着手した。