中華街を自慢する

先日僕は、「2021/5/21 オンラインシンポ・カジノなどいらない素敵なまちづくり」に参加した。

【本シンポの趣旨】

の収束が見通せない中、政府は今でも、ギャンブル施設であるカジノを収益面での原動力とする統合型リゾート(IR)に、世界各国から外国人観光客等を誘客して、全国の観光地に送り出すというIRカジノ推進の方針を変えていません。

横浜市は「ハーバーリゾートの形成」を実現するとして、山下埠頭をIRカジノの予定地とし、事業者の公募手続に入っています。

また東京都でも「東京ベイエリアビジョン」の策定に向けて、青海地区でのIR整備が提案され、検討されています。

しかし、IRカジノを誘致することは、本当に魅力ある観光地を実現するのでしょうか?

地域経済の振興になるのでしょうか?

今回は、「観光はまちづくりである!」として横浜市に「カジノなしのIR」を提案している建築家の山本理顕さんとともに、改めて、カジノ誘致の是非について考えたいと思います。(以上、転載)

このシンポジウムの模様は、近々配信されると思うが、共同主催に名を連ねる「一般社団法人 地域社会圏研究所」の事務局を務める僕としては、代表理事・山本理顕氏の提唱する「地域社会圏」に対する理解が大いに深まったので、今日はそのエッセンスをお伝えしたい。

そもそも「IR」とはIntegrated Resortの頭文字の略で、統合型リゾートとも呼ばれる。

ラスベガスやシンガポールのような、ビジネスと娯楽を組み合わせた長期滞在型の施設を、国際観光推進に役立たせる事業戦略のこと。

ところが、IRの1要素に過ぎないカジノの建設やその是非ばかりが論じられ、「観光」に関する議論が見当たらない。

そこで理顕氏は、「観光」とは「まちの魅力」という光を観に来ることであり、本当に横浜市民は「横浜の魅力をカジノにしたいのか」と問いかけた。

すでに提案されている、理顕氏の「カジノなしのIR」とは、まちにテーマパークを作るのでなく、まちそのものを作る提案だ。

https://www.hamakei.com/photoflash/5404/

想定敷地である山下ふ頭に高さ7Mの免震型人工地盤を作り、その下に交通や設備などサービスインフラを納め、人工地盤の上には職住一体型の4階建て立体町屋で両側まち(道を挟んで向かい合う商店街的な界隈)を形成する。

立体町屋の屋上はすべて緑化して、その上に高床式で宙に浮いたホテル棟を建設し、まちの喧騒から距離を置いたリゾート空間を実現する。

職住一体型の町屋にすることで、まちの活気は年中無休となる上に、昼間人口と夜間人口が均衡することで就労支援や社会福祉も効率化する。

建築提案の説明は、別の機会に譲るとして、ここで述べたいのはここで暮らす人々の役割だ。

それは、地域住民の自治によって地域の魅力を生み出すことで、判りやすい例が、中華街だ。

横浜中華街は、大資本や行政の力でなく、中国系の移民たちがこの地に定着し、周囲と折り合いをつけながら作り上げた小さな中国だ。

世界にはこうしたチャイナタウンが各所に存在するが、横浜中華街はその中でも特筆すべき事例だろう。

そこには中華料理店が立ち並ぶだけでなく、中国系住民のための生活用品店や病院のほか、寺院や学校もあり、年中行事や祭事も独自の発展を遂げてきた。

そして何より素晴らしいことは、横浜市民がこの中華街を愛し、誇りに思い、自慢していることだ。

「この光を観に来ることこそが観光だ」と理顕氏が断言するのを聞いて、僕は本当に感動した。

また、こうした地域社会のことを、理顕氏は「地域社会圏」と呼ぶ。

江戸時代までの地域社会は、全てが自給自足の単位であり、経済的に自立した自治が行われていた。
それが明治維新以降、強大な欧米諸国と戦うため、国家権力の元で国力全体を増強するために、地域が個人に分解され、国の直轄管理に変化した。

これがいつの間にか個人主義、民主主義にすり替え(美化)られていき、人々は「1家族1住宅」という核家族へと孤立した。

人間はたった4,5人で生き続けることはできない。

もっと大勢の人たちが、互いに助け合いながら暮らさなければ、持続する社会など成り立たない。

かつて電気もガスも車も無かった時代の自給自足でなく、全てが整った現代社会における新たな自治の単位として、中華街を参照することは意義深い。

少なくとも都市において、僕らが生きていくための地域社会とは、「・・街」を目指せばいい。

そこは働くためだけでも暮らすためだけでもなく、働きながら暮らすまち。

そして、入場料を払わなければ入れないテーマパークのような閉鎖空間でなく、バリやローマ、中華街のように開かれたまちになるべきだろう。

観光とは、そこを訪れる観光客からお金を稼ぐことでなく、住民が自分のまちを自慢する(光る)ことであり、その自慢を他所の人がうらやましいと思って行きたくなることだと思う。

その上で論じればいいと思う、「あなたは自分のまちをカジノにしたいですか?」と。