執筆再開した地主の学校が、今佳境を迎えている。
一昨年8月に一旦は書き終えたものの、読み直してみると陳腐で面白くない。
その中身を披露すると、誰もが「面白いから出版すれば」とおっしゃって下さるが、当の本人がつまらないと思うものを出版などするわけにはいかない。
この「他人には面白いが自分にはつまらない」というジレンマを乗り越えない限り、僕はこのストレスから抜け出せない。
振り返ると、僕は苦しみ、のたうち回っていたのかもしれない。
だが、それを突破させてくれたのは、僕の嫌いな読書だった。
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ある時期から僕は読書が嫌いになり、新聞すら一切読まなくなった。
そして、情報の収集はもっぱらweb検索に依存して、特にWikipediaが大好きだ。
その理由は、権威も確証もない信頼できない情報だから。
なぜかというと、僕はその情報を疑うことが大好きだ。
そして、僕が疑うのは、その情報の真偽でなく、それを分かった気になる自分自身だ。
知ったかぶりする自分に対し、「それホントに知ってるのか?」と自問しながら、言葉の一つ一つを疑い始める。
そんな中、「はとがの違い」とか、「起業と創業」、「会社と社会」、「承継と継承」など、誰もが何となく使い分けている言葉の違いを、ずばり説明して理解すること。
これが僕の生きがいになりつつある。
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話を本題に戻すと、最近僕は、読書嫌いなど吹っ飛ばすすごい本に続けて出会った。
きっかけは、GOTOキャンペーンで冷やかしに泊まった宿にあった「動的平衡(福岡伸一)」。
この本は、人間は機械じゃない、食物は燃料じゃない、生命は変化し続ける平衡状態だと見事に論じている。
久しぶりに読書に興味を持った僕は、すぐさま世田谷区と横浜市の図書館に利用登録をし、館内を探索した。
そもそも図書館にはどんな本があるのか、ジャンルを問わず全部眺めるのは初めての体験で、不思議なタイトルを見つけては、手に取って目次を斜め読み。
そんなことをしているうちに出会った本が「サピエンス全史(ユヴァル・ノア・ハラリ)」。
世界的なベストセラーとして知られ、漫画版まであるこの本は「社会人ならば全員必読の書」とまで言われるだけあって、僕の頭もひっくり返るほど面白かった。
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この本の面白さについて論じ始めたら、一冊本が書けてしまいそうに思えるほど面白い。
何しろホモサピエンス=人類の誕生から現代そして未来を、神をも超える壮大なスケールで論じている。
だが、それ以上に驚いたのは、この本が僕の本よりずっと難しい内容なのに、面白いだけでなくベストセラーになっていること。
2016年の刊行以来、すでに日本で100万部を超え、世界で1,600万部を超えているという。
もちろん、読んだすべての人が内容を理解できたかどうかは分からないが、これほどの評価と人気が継続するのは、間違いなく多くの人を感動させているからだ。
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そこで僕は気が付いた。
僕の書く本が、なぜつまらないのか。
それは僕が、読んでくれる人に判ってもらおうとするためだ。
僕の本は、僕自身の体験から学んだことを書きたいので、僕の成功や失敗に対する気づきとその検証・・・となりがちだ。
おかげで僕は、勢いをつけて一気に書き下ろすことができる反面、読み返すたびにがっかりする。
これ程のことを、8年でやり遂げたと自負する一方で、こんなことに8年もかかってしまったのかという落胆が交錯する。
そして、こんな過去を振り返るより、これから挑む新たなテーマを書きたくなる。
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だが、今回出会った本たちは、そんなせこい自分など、みじんも感じさせない。
福岡伸一は、自分の境遇にも触れながらそれを打破するプロセスも書いているが、サピエンス全史は筆者の感傷など吹っ飛ばし、神も宇宙もすべてを網羅して、合理的に語る痛快さを読む僕にまで与えてくれる。
だから僕は気が付いた。
ちっぽけな感傷や説明は「辞めて」、もっと言いたいことを語ろうと。
地主の学校のテーマは、成功ばかり目指さずに、もう片方の手で、継続を目指したいという話だ。
そのためには、何を「すべきか」を論じようと思ったが、今僕は「辞めるべきか」に切り替えた。
いくらやっても終わりがあるかもしれないが、辞めてしまえばその状態は永続する。
どうだ、今日は自分でも判ったような判らないような、難しい話になったぞ。