売買とは、何かの財産権とその代金を交換することだ。
それ以前の、お金を介さずに直接交換していたことに比べれば、相手・場所・時間に縛られない画期的な手段に違いない。
だが、全てのことには表裏があり、メリットの背後に必ずデメリットが潜んでいる。
売買代金は様々な条件を清算する手切れ金のようなものだが、無償であげたりもらう時には、様々な条件や願い事が付きまとう。
縁を切るためには売買が好都合だが、何かを継続するには役立たない。
むしろ貸し借りの方が返却まで継続するメリットがある。
つまり、何かをそのまま引き継ぐのに、売買は必要ないということだ。
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何かを引き継ぐことを承継というが、全てをそのまま引き継ぐことを包括承継といい、相続がこれに当たる。
だが、全てを承継する包括承継に対し、一部分を承継することを特定承継と呼び、これに該当するのが売買だ。
つまり、相続の弊害は、相続人が複数いれば、たとえ承継を望まなくても分割を求められることだったが、売買による承継の弊害は良いとこ取りの部分承継になることだ。
国づくりのプロセスにおいて、土地の財産部分つまり所有権の承継には売買はふさわしくない。
その土地を承継するメリットとデメリットを金銭で清算せず、全てを引き継ぐことが必要だ。
その理由は簡単で、メリットとデメリットの判定はその時点での判断に過ぎないから。
土地を永続的に利活用するうちに社会も価値観も変化するので、メリットとデメリットも変化し続ける。
現に事業継承とは、債権債務を清算することでなく、そのすべてを引き継ぐこと。
事業における本当の価値は資産でなく負債の方かもしれない。
売掛先の顧客も大事だが、買掛先の下請けネットワークこそがその会社の生命線かも知れない。
したがって、国づくりにおける土地の取得は、売買でなく寄付譲渡により行うべし。
私たちが目指す王様(地主)は、国土の売買など決して行わない。
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寄付についても、合理的に説明したい。
寄付とは気前の良い人や慈悲深い人が困った人や貧しい人に対する施しだと、あなたは思いこんでおるまいか。
wikiにも「寄付(きふ、英: donation)とは、金銭や財産などを公共事業、公益・福祉・宗教施設などへ無償で提供すること。」とあるので無理もない。
だが、ここでいう寄付とは支払う側から見れば「対価を求めない支払い」のこと。
だとすると、受ける側から見ると何なのかが問題だ。
その答えを論じる前に、寄付と財務会計との関係を見てみよう。
寄付金を支払う法人は、これを経費として損金処理できない。
つまり、法人税を納めた残りの利益から支払えということだ。
その理由は先ほどの「対価を求めない支払い」だから、売上の役に立つ対価でなければ損金にできない。
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一方で、寄付をもらう時はどうだろう。
株式会社などの営利法人は寄付だろうが何だろうが、全ての収入は売上となって法人税課税の対象だから、その収入を得るために使った経費が無ければそのまま課税されることになる。
ところが非営利法人はもともと営利を目的としていないので、対価性のない寄付は課税対象とならない。
寄付金の他にも対価性のない会費収入や、利益を生まない助成金などが課税対象とならない。
売上が生み出す利益とは、事業に使われず所有者が配分してしまうが、非営利法人の剰余金はすべてを翌期の事業に使うために繰り越すので、対価すら求めない寄付や会費はそのまま蓄積することができる。
そこで先ほどの問いに対し、「寄付とは法人と夢や願いを共有する代金」と位置付けたい。
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また、「地主の起業」という本章のタイトルは、この法人を地主自身が起業することを指している。
つまり、自分で作った法人に自分の土地を寄付することで、寿命のある個人所有から不死身の法人所有に変えることだ。
一般的な寄付のイメージは、自分の財産を役立ててくれそうな組織や法人を探すことなのだが、これは相当難しく、少額な寄付から始めたり、複数の団体に寄付したり様々な工夫がなされているようだ。
ところが今、少子高齢化の影響もあり、相続人のいない人が増えている。
相続人がいない人の財産は国庫に編入され、換金されて歳入となる。
土地の場合は官有地として利用できるものを除いて競売に供されて、結局国庫に編入される。
もしそれが嫌ならば、遺言書に寄付先を明示すれば、死後の寄付(遺贈)が可能となるが、遺贈先の選定はさらに難しくなる。
そこで注目されるのが、この自己寄付だ。
つまり、自分に寄付することが一番確実なうえ、生前から始められるのもメリットだ。
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以上、執筆中の「地主の学校」から一部を抜粋。