誰もが世界の中心に

自分の土地を小さな国と考えて、その自立と存続を目指そうというのが、僕の国づくりの提案だ。

だがその時、小さな国と現状の国家はどういう関係になるのだろう。

現状の日本国土は、官が所有する官有地部分と、民が所有する民有地でできている。

ここでいう官有地とは、国有地、都道府県有地、そして市区町村有地の3つに分けられる。

中央政府と2階層の地方自治体によって、日本の国土は3層構造で管理されているが、土地の所有はその管轄範囲に限定されず、自治体が他の自治体に保養施設などの土地を所有する例は数多い。

このことは、たとえ自治体であろうとも、土地利用と土地所有は関連せず、行政区分の3層構造に組み込まれていないことを意味する。

明治維新の廃藩置県で、この3層構造が確立された当初は、71,314の基礎自治体(集落)が存在した。

その後全国の自治体に小学校を設置するために、基礎自治体の世帯数を300世帯以上に定めて明治22年に町村合併(明治の大合併)が実施され、基礎自治体の数は約12,315に集約された。

その後も、行政サービスの充実を図るための合理化と称して町村合併は繰り返され、昨年10月には1,741に減少したが、総務省の目標は自治体数を1000まで減らすことだという。

だが、官=行政の負担は増える一方で、地域社会がその独自性を失うとともに衰退していく要因にもなっている。

口先では地方創生を唱えるが、地方を滅ぼしているのは日本政府そのものに他ならない。

また、中央政府を中心に、基礎自治体である市区町村を都道府県が取りまとめる3層構造は、一極集中を支えるピラミッド型の仕組みになっている。

7万の集落があったということは、7万の中心があったことを意味しており、これを1800に集約することで、地域の独自性を担う6万8千の中心を滅ぼしてきたに等しい。

つまり、この一極集中もまた、多くの辺境とへき地を生み、地域社会の自立と独立を脅かしている。

もはや、地域社会を存続させるためには、行政区分との連動を断ち切らなければならない。

まず、官の境界つまり行政区分から、民有地の範囲を開放し、複数の行政区にまたがる民間地域を生み出すことだ。

行政区の拠点が行政区の中心となる一方で、周辺部がへき地となるのは、駅からの距離に比例して不動産価値が下がるのとよく似ている。

それは日本という国家が、東京を中心としていることに起因する。

一極集中という利便と効率を追求した結果、多くのへき地を生み、その仕組みを全国にばらまいている。

民有地の国づくりとは、自分たちの土地を地域社会の、いや世界の中心にすることだ。

次に、地域は一団の土地にこだわらず、飛び地や遠隔地でも自在に連携すればいい。

世界はすでに土地の奪い合いから富の奪い合いにシフトしていて、空間的な連続性は必須条件ではない。

かつてはすべての富が土地から生み出されていたために、連続する土地を領土としたが、今では物流は空を飛び、情報はケーブルや電波に乗って世界を瞬時に往来できる。

社会は連続する一段のエリアでなくとも循環を確保できるようになってきた。

自然に依存する完全独立の必要はなくなり、人間が作り出す文明依存にシフトした。

強大な帝国による世界統一でなく、経済的グローバル化が様々な分野ごとの世界統一をもたらしつつある。

だが、新型コロナウィルスによるパンデミックの持続と加速もまた、グローバル化の産物だ。

これからの世界は、国境などの行政区画を超えることはますます容易になる一方で、現実的な往来や交流については様々な制約が生まれてくるかもしれない。

ということは、自分の所属する行政を介して周囲とつながるのでなく、世界中の様々な地域と直接やり取りをしながら新たな関係性を築くことになるだろう。

行政の区画にとらわれず、土地の所有と利用を共有する仲間が集まって、そこから見える世界とつながることを「国づくりの定義」としたい。

そしてそれは、小さな一軒の家からでも始められることを、多くの人に伝えたい。