僕がブログで、いつも二つの言葉を並べて対比するのは、一つの言葉を理解するために、その「反対や対極」にある言葉を想起することで、その言葉の範囲や方向を知るためだ。
そうすることで、自分の考え不足や思い違いが次から次へと発覚するのだが、この「反対や対極」が意外と難しい。
例えば、「地球とは何か」を考えるとき、その対極である「地球でないもの」などいくらでもあるからだ。
だが、「地球の反対は、地球以外の全てのもの」では意味をなさない。
あえて「地球と月」と考えることで「潮の満ち干」や「暦」の世界が開けるし、「地球と太陽」と考えることで、「昼夜」や「四季」の世界を論じられる。
なので、僕にとって言葉の意味を考えることは、それが世界の何を指示しているのかを探し求める思考というよりは行為と言える。
・
僕は今、土地を売買するのでなく、使うことを推奨しようとしている。
だが、「土地を使う」とはどういうことか、考え込んでしまった。
農業は、そこにある土を使った栽培だし、建築はその場所に施設を作ること。
土地とは地球の一部分を占める範囲に過ぎず、我々は地球を使って何かをしているわけではない。
だとすると、土地売買にも似たような疑問が感じられる。
我々は、その範囲を所有する権利を売買しているにすぎず、地球の一部分を売買しているわけではない。
だとすれば、売買せずに使うべきものとは、ひょっとして「土地そのもの」でなく「土地所有権=権利」の方かもしれない。
・
そこで改めて「権利とは何か」を考えてみることにした。
もちろん僕のやり方は、先ほど述べた「権利」を取り巻く「権利以外のもの」を探すことだ。
まずはググってみよう、すると・・・
①権利(けんり)とは、一般に、ある行為をなし、あるいはしないことのできる資格。
②法律上は、一定の利益を主張または享受することを法により認められた地位、あるいは、他人に対し一定の行為・不作為を求めることができる地位のことをいう。
③日本において権利は権限を含む。
④対義語は義務。
の4つの要素で説明される。
・
まず①は「しないでもよいこと=不作為の許可」であり、所有者が空き家等放置しても構わないこと。
②は、所有権は国から与えられたもので、更にそれを他人に与えることもできること。
③は、範囲を限定した場合はそれを権限と呼ぶこと。
そして④は、①の対義は「しなくてはならない=不作為の禁止」ということだ。
こうして眺めると、①③④は権利自体の説明で、特に④は先ほども述べた当たり前のことに過ぎない。
だとすると、どうやら肝心な説明は②ということになると、僕はにらんだ。
・
日本において国民の権利とは、「国から与えられることが法律に定められているもの」ということになる。
いや待てよ、すべての権利が国から与えられているわけではないはずだ。
例えば、「生きる権利(生存権)」は、国から与えられた権利でなく、人間ならだれもが持っている権利のはずだ。
その証拠に、生存権が認められていない国など世界には存在しない。
あなたも僕も、そんなことは知っている、こうした権利のことを「人権」と言い、憲法の中では「基本的人権」として明記されている。
権利と人権の関係について、僕にはこれ以上詳しく論じる見識はないが、この2つが持つ「他から与えられたもの」と「生まれつき備わっているもの」という関係が、僕の気づきだと伝えたい。
・
考えてみれば、すでに僕は「所有権の利活用」を始めている。
笑恵館では、所有者のTさんから所有権を借りるために「賃貸借による土地所有権取得契約」を締結しているし、名栗の森では「所有権を共有する会員制クラブ」を運営している。
確かに「土地所有権」とは「土地を自由に使用・収益・処分できる権利」と言われているが、正確に言うと「土地を自由に使用・収益・処分しなくてもよい権利」と言い換えられる。
問題は、この権利を個人に委ねることで、多くの土地が放置・放棄されている現状だ。
そこで僕は、まず所有権を仲間たちにも与えることで共有化し、自発的に使用・収益・処分を促進しようと考えた。
そこにあるのは「権利と付随する義務」でなく「人権に基づく自由と責任」だ。
「これまで売買されてきた権利義務を非営利化し、責任を伴う自由な土地利用を僕は目指したい。」
権利でなく、人権に基づいて、国民である前に人間として自由に生きたい。