先日「鎌田鳥山(かまたとりやま)」という古民家料理店で、ささやかな勉強会を開催した。
この古民家活用をサポートする建築家のOさんのお招きで、非営利法人を活用した土地の永続活用スキームに関する僕の自論を聞いていただいた。
参加者の中に、日本の田舎で空き家活用に取り組む外国人の方がいらしたので、彼らに僕は次の質問を投げかけた。
「僕が税務署で学んだのは、土地はお金で無いことと、利益は単なる剰余金のことの2点でした。英語で利益をプロフィット(profit)と言うけれど、剰余金のことは何というんですか?」
すると、アメリカ人のAさんが「プロフィットとはむしろ剰余金のことで、利益はベネフィット(benefit)の方がふさわしいです。」と、答えてくれた。
確かに辞書を引いてみると、「プロフィット(profit):利潤、採算、儲け」に対し、「ベネフィット(benefit):恩恵、利得、効用、良いこと(good)」とあり、僕はAさんの説明に深く頷いた。
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翻訳(ほんやく、英語: translation)とは、言語において、Aという形で表現されているものを、その意味に対応するBという形に置き換える行為をさす。
ここで言う「対応」とは、「同じ物事」という意味なので、そこに対象物が有れば、それを意味する別の言葉に置き換えることと言ってもいい。
例えば、富士山を指して「山」と言えば、英語の「マウンテン(mountain)と翻訳できるし、そこに流れる清流を「川」と言えば、「リバー(river)」となる。
だが、「富士山」と言うと、「富士マウンテン(Fuji Mountain)」となってしまい、富士の部分は置き換えられない。
つまり「意味」とはそのもの自体(固有名詞)を指すのでなく、その性質や分類(普通名詞)を示しており翻訳できるのはあくまで「意味の範囲」ということになる。
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それでは、山の意味とは何だろう。
山という言葉には様々な意味が込められているが、それは対義語や反対語を考えることであぶりだすことができる。
山の対義語としては、山⇔野、山⇔谷、山⇔海などがあげられるが、広いすそ野の中にそびえたつ富士山なら、山⇔野の山に思える。
さらに、英語の山にはmountain(山)、pile(山積み)、peak(頂上)などの類語がある。
野、谷、海など自然の情景が並ぶ日本語に対し、英語は山の形状や部位などを言い分けているが、これらの意味が日本語だと同じ言葉になる。
また、登山に関する言葉になると、ハイキング、ピークハント・ピストン、トレッキング、クライミングと、いきなりカタカナ(外来語)のオンパレードになる。
これも、日本特有の翻訳と言っていいだろう。
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今日の僕が、言葉の意味にこだわるのは、その曖昧さが会話を成立させないからだ。
相手に何かを伝えるためには、伝えたいことを相手が意味を理解できる言葉に翻訳する必要がある。
先日僕が、アメリカ人に「非営利の意味」を伝えることができたのは、利益と利潤の違いを英語に翻訳することができたからだ。
そしてさらに興味深いのは、周囲の日本人もそのやり取りを聞くことで、同様に理解できたこと。
この時僕は、翻訳の必要性に気が付いた。
日本人同士だからこそ、言葉が通じているという慢心と錯覚から抜け切れず、相手の理解を疑わず確認を怠ってしまう。
話の後、「わかりましたか?」と尋ねても何の質問も無ければ、それは理解できたからでなく、質問すら思いつかない不理解だ。
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先ほどのプロフィットとベネフィットは、辞書で見ると多くの意味が重複している。
だが、日本語の「利益」という言葉に「利潤や儲け」も含まれているとすれば、この重複は英語でなく日本語側の問題かもしれない。
そこで、あえて重複しない部分を抜き出して並べたものが、先ほどの比較だ。
つまり、日本語の利益と剰余金の意味の違いを、英語を介して知ることができたことになる。
このことは、明らかに翻訳のメリットと僕は思う。
2つの言葉を混同して、利益=利潤=良いこと・・・という解釈が生まれてしまう現状に対し、問題を提起するには翻訳が欠かせない。
これからも僕は、たとえ相手が日本人であろうとも、使う言葉が日本語であっても、「相手にわかる言葉に翻訳する努力」を忘れないようにしたいと思う。