
成功や失敗は事業の終わり方を指す言葉で、事業の継続を指す言葉ではない。
僕は20年前、父から引き継いだ建設会社が倒産した時、失敗を嘆くのをやめ継続の道を模索した。
それは、自分の会社の成功・失敗は自分にとっては大切だが、周囲の人から見れば、そんなことより継続するかどうかの方が重要だと気づいたから。
そして、仕事をくださる発注者はもちろんのこと、仕事をこなす社員や仕事を手伝ってくれる業者の皆さんの支持が無ければ、事業の成立はおぼつかない。
そこで僕は、会社の破産処理を進める一方で、仕掛り(やりかけ)工事の再開を試みた。
発注者、社員、協力業者など、すべての関係者に「工事再開こそが唯一ベストの方法だ」と真摯に説明したところ、会社も無いのにすべての現場が動き出した。
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この経験は、仕事のやり取りや物の売り買いはビジネスの一部分にすぎず、そこに関わる全ての人が作り上げる大きな循環こそがビジネスの全体像だと僕に教えてくれた。
それまで僕は、建設会社がすべてを仕切っていたのだと思い込んでいたのだが、たとえ建設会社が潰れて消えても、この仕組みが生きていたからこそすべてのビルは完成した。
つまり、会社はビジネスの登場人物に過ぎず、社会こそがビジネスの全体像だ。
僕が失敗に直面した時に、終わりでなく継続を目指すことにしたのは、それまで会社の構成員だった自分が社会の構成員に変わった瞬間かも知れない。
建設会社でなく周囲の皆さんを倒産から救うことは、社会の一員としての自覚を持った証拠だろう。
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僕が偉そうに臆面もなくこんなことを言うのは、これこそが僕の成功の要因だから。
つまり、社内でなく、社外の倒産被害を最小限にしたいという願いが、多くの賛同と支援を生んだ。
皆さんが僕を助けてくれたのは、僕を介して皆さん自身を助けることになる・・・そんな説明を皆さんが理解してくれたからだ。
この頃、僕の頭の中では「僕から僕たち」という変化が起きていた。
僕の中には、「僕個人のためだけに行動する僕」と、「僕たちみんなのために行動する僕」がいる。
恐らく誰もが、自分の中にこうした「自分」と「自分たち」を持っているのだろう。
つまり、「自分」が大勢いることもあれば、「自分たち」が一人しかいないこともある。
これが世界をわかり難くしているのではないだろうか。
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例えば「営利と非営利」の違いは、まさに「自分と自分たち」の違いに思える。
「利益」を「自分」のものにするのが営利で、「自分たち」のものにするのが非営利だ。
会社倒産後の仕掛り工事の利益は、預金口座を提供してくれた企業への報酬と、その後設立した新会社の資本金に充当した。
ある意味で、僕の会社倒産・破綻処理は非営利事業だったといえるだろう。
株式会社を所有する株主たちは、自分の配当利益を目的にする人々で、非公開企業は限られた人の投資に報いるための営利企業だが、公開企業になると誰もが株式を購入できるようになり、「社会の公器」と呼ばれる非営利企業に近づいていく。
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一方で、社団法人を所有するのは、社員と呼ばれる構成員だが、そこに持ち分の定めは無く、社員全員=自分たちが総有している。
株式会社の株主のように、社員への収益や保有資産の配分を可能と定め「営利型」とすることも可能だが、それを認めず非営利型に出来ることが、社団法人の特徴だ。
営利法人と非営利法人の会計上の違いは、営利法人はすべての収入が課税対象だが、非営利法人は非課税の収入があること。
例えば、義援金や協力金と言った収入も営利法人ではすべてが売上となるが、非営利法人の会費、寄付、助成金などはすべて非課税収入となる。
もちろん、何かを販売したりサービスの対価などは非営利法人でも売り上げとなるが、それは誰かに対する販売やサービスの対価だから。
でも、会費や寄付は支払う人に対するサービスでなく、自分たちの事業に資するための対価性のない収入なので、課税対象とならない。
つまり、「自分への収入」は課税されるが、「自分たちへの収入」は課税されないことになる。
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こうして見ていくと、「自分と自分たち」の違いが、社会の仕組みを決めているとさえ、僕は感じる。
株式会社に寄付収入が無いのは、株式会社の利益が全て自分(株主)のものになってしまうから。
一般社団法人など持分の定めがない法人の利益は、誰かのものでなく自分たちみんなのものとなるわけだ。
非営利法人のもう一つの特徴は、相続と無関係なこと。
相続とは、死亡した個人から別の個人に財産の所有権が移動するのを所得とみなし、これに課税する制度だ。
だから、株式会社が所有する財産は、結局株主(自分)が所有しているので、会社を分譲マンションのように個人所有しているに過ぎない。
だが、非営利法人は同じ目的(夢)を持つ人たち(自分たち)が法人という人格を持っているので、この法人格はみんなで命をつなぐ不死身の存在だ。
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話し出したら、止まらなくなってしまったが、今日伝えたいことは「自分」と「自分たち」の二人がいること。
「自分」ばかり考えるのでなく、「自分たち」を考えることで社会が面白く思えてくる。
そして、「自分たち」を広げていくことで、世界が面白くなるのだと僕は思う。