3月10日、パクチーハウス東京とパックスコワーキングがクローズすると聞き、僕も明日、最後にビールを飲みに行ってみようと思っている。
「今後は無店舗展開で、新たなプロジェクトを立ち上げる」との佐谷君の言葉通り、今後がますます楽しみだ。
始めがあれば終わりがある。
倒産で覚醒した僕としては、決して終わりを嘆く気にはなれない。
だが、「終わりのないこと」もまた、大切なことだ。
僕たちのチャレンジには終わりなど無いし、世界の終わりなど観たくない。
終わることができずに先延ばしするのは良くないが、終わりたくないのなら終わらないことに挑むべきだと僕は思う。
笑恵館はまさに「終わりたくないプロジェクト」だ。
終わることなく、やり続けるためにどうすればいいのか…という課題に僕は一発でのめり込んだ。
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笑恵館の継続を阻むものとしては、下記の候補が考えられる。
- ① 財政の行き詰まり
- ② 組織の行き詰まり
- ③ 施設の老朽化
- ④ 相続税の負担
これらを解決するために初めに思い付いたのは、笑恵館の法人化だ。
併設するアパート収入を財源に①を克服し、地域の交流施設として事業化することで②を克服し、非営利事業として③を克服し、将来公益法人になることで④を克服しようとした。
だが、この方法では「笑恵館だけ」に留まった場合は仕組みの規模が小さくて、永続性を担保できたとは言い難い。
もっと広がりのある仕組みにして多様な人材や土地資源を確保しないと、「永続する仕組み」には程遠い。
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そこで僕は、もう一度原点に戻り、「永続する仕組みとは何か」を考えることにした。
すると、すぐに頭に浮かんだ答えが「国」という概念だ。
それは、「国」がどういう仕組みで出来ているかを考えるのではなく、「国こそが永続すべき仕組み」ということだ。
つまり僕が挑みたかったのは初めから「国づくり」であり、「永続する仕組み」に興味を感じたのはそれが「国」を意味していたからだと今思う。
僕が国に惹かれる理由は「自立・自由・自己責任」だと、これまでも度々話してきたが、それらがもたらすものこそが「永続性=終わらないこと」ではないかと、僕は気が付いた。
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こうなると、これまで公益法人やNPOなどに挑みながらどこか抵抗感というか、違和感を感じていた理由が分かった気がする。
それらは、公的な許認可に基づく仕組みであり、所詮日本国内で通用するローカルルールに過ぎない。
僕が今回求めているのは、もっと普遍性のある自由な仕組みだ。
許可を求めて申請手続きを踏むようなアプローチでなく、自分の身を律すれば、自由に何でもできるやり方だ。
そう考えると、実は今、僕たちが取り組んでいる事業形態が、まさにそのやり方だと気が付いた。
それは「非営利型の一般社団法人が税法上の“持分の定めのない法人”に該当すれば、贈与税は課税されない。」という取り扱いだ。
誰のものでもないモノに税金はかけられない。
個人所有を放棄して、みんなのモノとして活用すれば、それは「国土」に等しい。
「土地をみんなで所有する仕組み」は、個人の土地を「終わりのない国」に変えていく。
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こんな話を引っ提げて、僕は月曜日に公認会計士のO君を訪問する。
僕の解釈に大きな間違いが無ければ、彼も仲間に引き込んで、「土地や建物を換金せず、そのまま資源として活かし続けたい」と願う人たちを募る活動を開始したい。
今日の話は「はしょり過ぎ」で、あなたには意味不明だったかもしれないが、今の活動が「国づくり」とつながった喜びを、今どうしても書き留めておきたかった。
「終わらない仕組み」とは単なる夢にすぎず、実際は「終わらないために変化し続ける仕組み」なのかもしれない。
だが、はっきりしているのは「終わりたくない」という思いだ。
日本が終わらないように、僕は「小さな日本」をつくり始める。
興味のある人、質問大歓迎です。