ワーゲンとベンツ

今日は、駒澤大学のシンポジウムにお招きいただき、午後からみっちり参加した。

冒頭、吉田敬一教授から「日本型グローバル化の実態と持続可能な地域経済を支える中小企業の課題」と題した基調講演があったのだが、今の僕にはとても刺激的なお話だった。

それは一言で言えば、「日本のグローバル化はちょっとおかしい」という内容だ。

世界で戦う企業が育ってくるところまでは欧米先進諸国と変わらないが、その結果地域社会の個性が失われ、国中どこもかしこも同じ光景になってしまったのは日本だけだという。

確かに、外国でもブランドショップやコンビニが氾濫するまちは数多いが、まちの玄関口である駅舎とか、地域の個性を色濃く残す場所を大切にしているまちが多い。

一体どうして、こんなことになってしまったのだろう。

フォルクスワーゲンとベンツは、どちらもドイツを代表する世界的な自動車メーカーだが、その戦略は全く違う。

フォルクスワーゲンとは「人々の車」という意味の言葉だが、ドイツの大衆車メーカーから世界企業に発展し、今では多くのメーカーを傘下に収めている。

生産拠点も世界中に展開し、ドイツ発祥ではあるがドイツ製の車とは言い難い。

一方、ベンツは言うまでもなく世界を代表する高級車メーカーで、世界中で売れているが、その生産はドイツ国内で行われ、そのこと自体がベンツの価値の基礎となる。

この両社が示すのは、グローバル化には2種類の姿があるということだ。

それは、世界を股にかけた仕組みを作るか、世界中に地域の価値を届けるかの違いと言えるだろう。

ところが日本の自動車産業を見渡すとどうだろう。

トヨタはあたかもベンツのように明らかに日の丸を背負って世界に展開しているが、今や生産拠点も世界に展開し、事業体制はむしろフォルクスワーゲンに近いように思える。

以下、日産、ホンダ、スズキの各社もどちらかと言えばワーゲン型で、国内生産にこだわるドイツ型の企業は見当たらない。

ベンツ型の企業を「メイド”イン”ドイツ」というならば、ワーゲン型の企業は「メイド”バイ”ドイツ」と言えるだろう。

もちろん、すべての業種において「メイドインジャパン」が見当たらないなどと言う気はない。

だが、「メイドインジャパン」だったはずのグローバル化が、いつしか「メイドバイジャパン」ばかりが目立つようになってしまったのは否めないと僕は思う。

吉田教授は日銀総裁のこんなコメントを引き合いに出した。

「教科書には為替が下がると輸出が増えると書いてある。しかし日本では円安でも輸出は大幅に増えなかった。(日経2017/6/7より)」

2010年当時1ドル=80円の円高だったのが、その後金融緩和のおかげもあり1ドル=120円の円安になった。

これは日本で240万円する車を3万ドルで売っていたのを、2万ドルで売れるようになったことを意味するわけで、当然たくさん売れるはず、この間日本車の輸出台数は全然増えていないという。

黒田総裁は、これを嘆いてこんなコメントを発したわけだ。

台数が増えずとも円高になった分確かに利益が増えたので、あまり話題にならなかったが、実際にはこんな値下げは行われず、当然台数は増えなかった。

なぜ値下げを「しなかった」のか、それは「できなかった」のだという。

今やトヨタは世界で生産しているので、円高で値下げできるのは国内生産分だけのこと。

つまり、所詮為替の変動は地域格差の範囲であり、世界を股にかけたビジネスの全体からすれば、行って来いのプラマイゼロ。

「メイドインジャパン」なら為替の効果が明確だが、「メイドバイジャパン」ではあまり意味を持たなくなる。

皮肉なことに日本のお金を日本で印刷する日銀こそが、まさに「メイドインジャパン」の典型であり、グローバル感覚など持っていないことは明らかだ。

だから日銀が無能だと言いたいのではなく、グローバル化の2面性を忘れてはいけないと、思い知った気がする。

この2面性をどう理解すればいいかについて、吉田教授の見解が素晴らしいので付け加えたい。

それは「メイドバイジャパン」を大企業が担い、「メイドインジャパン」を中小企業が担えばいいという。

業歴100年以上の長寿企業は世界に2万7千社存在するが、1000人以上の大企業は1%に過ぎないのに対し、10人未満の少人数企業が60%以上を占めるという。

これらの企業は、決して世界に展開するのでなく、地域に根差し時代を越えて生き続ける小さなビジネスだ。

これからの「地域の生き残り」とは、ただ人が生き残り、住み続けることを指すのではない。

まさに「メイドイン地域」のビジネスが、世界に発信しながら世代を越えて生き残ることではないかと、僕は思った。