昨日は、名栗の森の例会で真冬の森を点検した後、メンバーたちと一緒に飯能駅周辺で行われている「飯能ひな飾り展」を見て回った。
昨今、今の時期は全国各地で同様のひな飾り展が行われ、地域を巡るツアーやスタンプラリーが開催されているが、ご多分に漏れず飯能でも同様の趣向で、スタンプカードを握りしめた家族連れがひな飾りなどに目もくれず町内を歩き回っていた。
元蒲団屋さんの店舗を設計事務所に活用するメンバーのN君も、地元の旧家で要らなくなったひな飾りを引き取ってこのイベントに参加しているのだが、スタンプ目当ての人たちとひな人形鑑賞をする人の入り口を分けて、対応しているという。
さらにN君によれば、このイベントの本当の目的は、ひな人形を介した地域焦点と市民との交流だという。
そんな彼の案内で老舗店舗を中心に飯能駅周辺を散策した。
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このイベントは、今から13年前、飯能銀座通りにある老舗酒屋の奥さんの「蔵に眠っているひな飾りを、みんなでお店に並べてみていただいたらどうかしら」という呼び掛けで始まった。
「うちも、13年前に誘われて蔵を整理したら、こんなに古いお雛様がいくつも見つかったので、それから出すようになったのよ」と、訪ねる先々の店主たちが口を揃える。
中には、「あの時誘われなければ、きっと今頃全部捨ててしまっていただろう。おかげさまで、毎年飾りと片付けが大変だし、だんだん傷んでくるから大事にしなきゃね。」と愚痴る方もいらしたが、そんな話をすること自体とても楽しそうに見えた。
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展示会場を訪ねるうち、まちの中で連携先や遊休施設を探す僕たちにとっては、このイベントは絶好の機会であることが実感できた。
何しろ、普段入りづらい老舗のお店に入ることができ、その上店主やご隠居さんと昔話を楽しめる。
話はどんどん脱線し、お店の歴史や家族の変遷へと広がっていく。
繰り返しひな人形を見るうちに次第に目が肥えてきて、人形談義にも磨きがかかる。
このイベントの価値は、スタンプ集めでないのは言うまでもないが、実はひな飾りでさえそのきっかけにすぎないというN君の主張には心から頷ける。
だがそうなると、このイベントの告知チラシやポスターに、そんな趣旨はみじんも書かれていないことに驚かされる。
行政など、このイベントに便乗する人たちにとっては、そんな交流はどうでもいいのか、単なる集客イベントに過ぎないのか。
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僕は、ビジネスには「顔を見せたくないビジネス」と、「顔を見せたいビジネス」があると思う。
「顔を見せたくないビジネス」とは、互いの顔を見るよりも商品やサービスの価値を見てもらいたいビジネスのこと。
その逆に、自分ならではのサービスを提供したり、自分にふさわしいサービスを求めるのが、「顔を見せたいビジネス」だ。
情報革命と流通革命で一気に進むグローバル化は、地域も国籍も関係ない「顔を見せないビジネス」の拡大と浸透を推し進め、これまで以上に便利で安価な世界一率の巨大なサービスを生みだしていくだろう。
だが、その結果生み出される余暇や余裕は、世界に一つしかない自分だけの満足の追及に向けられる。
それはグローバルとは対極にあるローカルな欲求であり、個人レベルの「顔と顔」の関係に行きつくに違いない。
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こうした「個別の関係」を育てるには、それらをつなぐ媒介(メディア)が必要だ。
僕は今回のイベントに参加して、それが「蔵に眠っていたひな飾り」であることに気が付いた。
ひな飾りが「可愛い娘の幸せを願って贈られる究極のプライベート」だからこそ、あえてそれらを公開することで、展示者同士の共感が見学者にも伝わってくる。
年に一度のイベントに、何人来場したかなどどうでもいい。
主催者の思いを発信し、出展者同士の連携を確認し、来場者との出会いが生まれることにより、地域の「顔が見える関係」が膨らむことこそが最大の成果だと思う。
そのために必要なことは、思いを発信し、共感者を受け入れること。
笑恵館が食堂やトイレを無料開放しているのは、通行人の便宜を図っているのでなく、それ自体がメッセージなのだと、あらためて分かった気がする。