オリンピックは世界中の代表が集まっているので、面白い場面満載だ。
柔道など、同じルールでやっているはずなのに、まるで違う戦い方をする選手がいたりする。
柔道は日本のお家芸と言いながら、結果は銅メダルばかり。
美しい柔道ではなかなか勝てなくなったと嘆くが、世界に広まるということは、そういうことなのかもしれない。
考えてみれば、すべてのスポーツは人間という特定の身体を対象に考え出されたゲームだ。
人は鳥のように飛べるわけでも魚のように泳げるわけでもないのに、飛んだり泳いだりすることで世界中を魅了する。
さらには、柔道のように、複雑なルールを理解することで、世界中の人を魅了できるなんて、素晴らしいビジネスだ。
こうして見回すと、オリンピックはビジネスモデルの展示場だ。
そんな「僕の目から見たオリンピックの面白さ」について、論じてみたい。
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日本のお家芸「柔道」は、男女それぞれ7階級の予選から決勝まで1日ずつ行うため、オリンピック放送の半分近くは柔道を見ている気がする。
でも、調べてみると、386人の参加選手の国籍は約100か国に及び、オリンピック種目にふさわしい国際性を持っている。
たしかにこの競技は、広い敷地や立派な施設が無くても、柔道着と床さえあればどこででもできるスポーツだ。
試合を見ていても、実にバラエティに富んだ国の選手がまんべんなく勝ち進んでくる。
そういう視点で言えば、ほぼすべての階級でメダルさえ取れれば、創始国としての面目は十分すぎるくらいだと思う。
金メダルの価値は、柔道の普及無くしてあり得ない。
表向きは悔しそうな顔をしながら、さらに柔道の普及を進めることが、柔道ビジネスにとって大切なことだと思う。
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柔道に比べると、野球やラグビーがオリンピック競技になれない理由の一つに、施設や設備が必要なため世界に普及しないと言われることがあるが、それには安易に賛成できない。
日本で野球が普及しているのは、広い土地が多いからではないし、練習場所の無い豪雪地帯の高校が甲子園で優勝したりする。
リオ五輪体操の男子個人総合で、実力では金メダルとも思えたウクライナの選手は、内戦で荒れ果てたひどい設備で練習しているそうだ。
その逆に、サッカー王国のブラジルでは、子供のころから裸足でボールと接する子供たちの中から、ペレのような天才が現れてきたかもしれないが、基本的にはプロチームに集められたエリートたちがプロとして活躍する。
普及とは、その天国のような頂点から地獄のようなすそ野の底辺までのピラミッドが巨大化することでもある。
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頂点といえば、アメリカの男子バスケットボール「ドリームチーム」は、リオの選手村に入らず、7億円で大型客船を借り切っているという。
サッカーが23歳以下の年齢制限をしているとは対照的だ。
実は世界の競技人口で言えば、ダントツのトップはなんと「バスケットボール」の4億5千万人で、2位のサッカーの2億5千万人をはるかに凌ぐ。
その巨大な競技人口に支えられる頂点だからこそ、金メダルを取るに決まっているドリームチームの活躍がオリンピックというビジネスだ。
しかし、これほどまでに競技人口が多いその要因は、以外にも競技国数が少ないにもかかわらず女子の競技人口が多いこと。
つまり、スポーツにおける男女平等は、まだ緒に就いたばかりということだ。
逆にサッカーは世界に普及したために人材が流動化し、多くのトッププレイヤーが外国で活躍していて「ドリームチーム」が成立しないのが実情だ。
ビジネスの普及を考える際、手軽さなどの主体的要因だけでなく、世界を俯瞰し、社会的要因も見逃さないようにしたい。
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話を柔道に戻そう。
今回柔道を見ていて、特に耳障りなのが「偽装的攻撃」という指導だ。
指導とは、軽度な反則のことで、4回指導を受けると反則負けになる。
調べてみると全部で23項目もあるのだが、その最初の3項目は
- 故意に取り組まないこと。
- 組んだあと、極端な防御姿勢をとること(通常5秒を超えて)。
- 明らかに相手を投げる意志のない攻撃を行なうこと。(擬装的攻撃)。
となっていて、つまり1.逃げまわり、2.守りばかり、3.攻めるふり・・・を禁じている。
5分間の勝負の後、この指導が1つでも多い方が負けとなり、実際多くの勝敗が、この指導の数で決まるのだから、見ている方も胃が痛くなる。
技はたとえ失敗でも堂々と最後までやりきらないと、「やったふり(偽装的攻撃)」と言われてマイナスされる。
東京オリンピックで初めて柔道が行われたときは、「一本、技あり、有効」の3つだけだったことを思えば、嘆かわしいという意見も多いだろうが、これも世界に普及させる一つの手段であったことは間違いない。
新規参入を促すには、当たり前のことを明確にすることは欠かせない。
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普及について、もう一つ脱線すると、日本のスポーツ競技人口について次のデータがある。
- 第1位 ウォーキング・軽い体操……4,017万2,000人
- 第2位 ボウリング……1,462万1,000人
- 第3位 水泳……1,203万人
- 第4位 器具を使ったトレーニング……1,124万3,000人
- 第5位 ジョギング・マラソン……1,095万6,000人
- 第6位 登山・ハイキング……1,045万7,000人
- 第7位 サイクリング……1,011万人
- 第8位 釣り……928万1,000人
- 第9位 ゴルフ(練習場を含む)……924万人
- 第10位 野球(キャッチボールを含む)……812万2,000人
- 次点 サッカー(フットサル)……637万5,000人
なんと、サッカーはベストテンには入らない。
これは、スポーツの定義にかかわる問題だ。
オリンピックにはふさわしくないけれど、健康づくりや娯楽には欠かせないスポーツが上位に上がる。
それでは、「スポーツ」でなく「競技」という範疇ではどうだろう。
日本では将棋(1270万人)が水泳を上回るし、世界ではチェス(7億人)がバスケットボールをはるかに凌ぐらしい。
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2020年の東京開催を控え、オリンピックの賛否はいろいろある。
だがしかし、個別の競技をビジネスと見た時、これほど多様なビジネスとそのプレイヤーが世界中から一堂に会し、最高のパフォーマンスを見せてくれる機会はこれしかない。
神聖なスポーツイベントと思うから、薄汚い現実が汚らわしく見えるのであって、初めからビジネスの展示会だと考えて、つまらない見栄を張らず合理的経済的に開催すればいいと思う。
おそらく、文部科学省やスポーツ関連団体ではなく、経産省と外務省あたりがスポンサー企業と連携して取り組むべきイベントだと僕は思う。
スポーツというビジネスは、その魅力が地域性と密接な関係を持つことを、わかりやすく見せてくれる。