貧富の良し悪し

(このグラフは世帯数問題より引用 https://nanoni.co.jp/20160523-2/)

世界各国の「ひとり暮らし世帯の割合」を比較したデータによると、一人暮らし割合の多い国は1位スウェーデン、2位ドイツ、3位オーストリア、4位チェコ、5位日本で、少ない国は1位バングラデシュ、2位インド、3位フィリピン、4位ベトナム、5位エチオピアだそうだ。

これを見てまず感じるのは、豊かな国では一人暮らしが多く、貧しい国では一人暮らしが少ないということだ。

これを逆にして言うと、「一人暮らしができること」が「豊か」となるが、「豊かさ」を「一人暮らしができること」と定義するのは面白いことだと思う。

というのも、この場合僕は「豊か=良いこと」ではないと考えるからだ。

つまり、「豊か・貧しい」とは、「高い・低い」や「暑い・寒い」と同様にある反対概念を説明しているだけで、善悪や良否を指すものではない。

もしも「豊かさ」が「一人暮らしできること」だとすれば、「一人暮らしできること」の良否を議論しなければ意味がない。

「一人暮らしできる」と「一人暮らしできない」では、明らかに前者が善だ。

それは「できる」という自由が「できない」という制約のない良いことだから。

だがそれは「一人暮らし」の是非とは別問題だ。

「一人暮らし」がとても悪いことであれば、自由に悪いことができるのを善とは言えない。

そこで次に、一人暮らしとそれ以外、つまり「大勢で暮らすこと」と「一人で暮らすこと」を比較する。

もしも大勢で暮らすことが悪いことであれば、大勢で暮らさなくても済むことは良いこととなる。

かつては世界のどこだって人は大勢で暮らしていた。

危険から身を守り、食料を分け合うため、家族や社会を作ってきた。

しかし、そこには身分や権力が生まれ、すべての人が幸せだったとは限らない。

やがて技術が進歩し経済が発展するに従い、人々は少人数で暮らすようになったのは、明らかに「大勢で暮らすことの悪」から逃れるためだった。

人の世話になることによる従属や、人の世話をしなければならない負担から逃れ自立することを多くの人が望んだと思う。

そして、そのために必要な「何でもできる能力と、何の助けもいらない強さ」を「お金」が実現してくれた。

すべてのサービスは換金と購入ができるので、共助とか継承などしなくても必要なものは何でも手に入る。

日本は世界でも5番目に一人暮らしの割合が高い国で、確かに周りを見渡しても、一人暮らしの老人や若者であふれている。

そしてそれは、お金が無ければ維持できないことは、我が国の「生活保障」が「金銭保証」であることがよく物語っている。

景気が悪いのにデフレ経済のおかげで物価が安く、高齢者たちはアメリカに次ぐ個人金融資産を持ち、安くなったといえども十分に高いレベルの円の購買力により、この状態を維持しているが、これはもはや時間の問題だ。

デフレから脱却しない限り賃金の上昇はあり得ないし、もはや国民の預金率はアメリカの4%を抜いてわずか2%まで下落。先進国の中でも堂々の最下位だ。

考えてみれば高齢者介護や子育て支援など、緊急課題と言われるものは一人暮らしや少人数世帯の支援に関するものばかり。

これらを「少子高齢化対策」と呼ぶこと自体、でたらめだ。

20160815

一方、1位のスウェーデンは世界でも最も税金の高い国として有名だ。

テレビで見ていても、「国民の多くは社会保障が充実しているので貯金をあまりしていない」と説明しているが、実態は全く違う。

社会保障の充実が国民生活の安定を産み、その結果預金率を高めている。

日本が金持ち状態を維持しようと借金漬けになってしまった「元金持ち国家」なのに対し、スウェーデンは高負担でも生活を安定させ、徐々に活力を蓄積してきた「元弱小国」と言えるだろう。

日本では、景気が良くなり一発逆転する以外に問題を解決するビジョンがまるで見えないが、スウェーデンでは苦しいやりくりが続くものの、着実に国民は豊かになりつつある。

僕はかつて130億の債権債務を持つ会社を潰し、30億の個人債務を抱えたが、無借金の会社を再生し、個人債務は時効となり、自身も小さいながら数多くの新事業を生み出してきた。

だから僕には、今の日本の未来が見える。

1000兆円の国債はそもそも返済すべき借金ではなく、国民が国づくりのため出した出資金だ。

国中に作ったインフラをいかに使いこなすかは、我々自身の責任だ。

たとえ国債が踏み倒されても、この国土を使って稼ぎ、元を取り戻すより他に道はない。

だが実態は、すでに先進国中最低の貧乏国になっているのに、預金残高だけを見て「金持ち面」している大バカ者だ。

受験勉強しかしていない子供たち、会社のノルマとだけ戦っている大人たち、日々の暮らしと子供の成績だけに追われている母親たち、そして自分の老後のことしか考えていない高齢者たち。

そんな人たちでも、まじめにやっていればいい世の中になる・・・そんなことあるわけないじゃないか。

一部の人に儲けさせ、残りの人たちはなるようになるとしか考えていない日本のやり方は、そう長く続かないだろう。

そしてその後は、金のかかる一人暮らしをやめ、仲間や近所の人たちと助け合いながら暮らすしかないと僕は思う。

だが、みんながそう考えるとは思えない。

多くの人が、従来のやり方にしがみつき、新しい考え方を受け入れられないだろう。

でも僕は、そういう状態を受け入れたい、そういう社会を受け入れたい、きっとすでに世界は、そういう状況なのだと思う。

分かり合えない人が同居する社会こそが、普通の現実なんだと思う。