まつむら塾実現学・笑恵館クラスも大詰めを迎え、目下全20回の19回目「失敗の話」の準備中。
僕は「失敗の話」が大好きで、このブログ内でも「失敗」のタグ付け回数は、60回を数える。
https://nanoni.co.jp/tag/failure/
いつものように、まず辞書を引くと…
「しっ‐ぱい【失敗】 [名](スル)物事をやりそこなうこと。方法や目的を誤って良い結果が得られないこと。しくじること。」
…とあり、自分の「やりたいこと(what)」の「目的(why)」と「方法(how)」について論じるまつむら塾にとって、避けては通れない核心部分であることが分かる。
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まず、「失敗」とは「成功」の反対と思われがちだが、「成功」を辞書で引くと…
「せい‐こう【成功】[名](スル) 1 物事を目的どおりに成し遂げること。2 物事をうまく成し遂げて、社会的地位や名声などを得ること。」
…とあり、成し遂げた結果のみを論じ、そのプロセスは関係ない。
僕が目指す実現学とは、自分の夢を目的と方法に分解してその実現(現実化)に取り組むことなので、偶然やまぐれで生まれた結果オーライ的成功は、そもそも対象外の領域だ。
さらに僕が、この差末にも思える問題にこだわるのは、2に書かれた「地位や名声を得ること」だ。
僕が目指す「実現という成功」は、あくまで「自分の目的の現実化」であり、他人や周囲からの評価は関係ない。
もちろん「周囲からの評価を得ること」が目的なら話は別だが、そもそも目的とは「自分にとっての成功」のはずだ。
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とはいえ、「実現が成功」である以上、失敗は成功の対義的概念であることに違いはない。
そこで、次は「失敗と成功」のどちらが多く、身近な問題なのかについて考察する。
まず初めに、成功が結果であるのに対し、失敗がプロセスであることに着目したい。
「失敗」は「成功しないこと」ではあるが、「成功せずに終わること」とは限らない。
ほとんどの失敗は、その原因を修正することにより成功を目指す通過点となるし、一切の失敗を経ることなく成功することなど皆無に近いと思う。
さらに言えば、多くの成功がそこで終わることなく更なる成功を求めて継続する。
成功が通過点になることは、目的(ゴール)の変更を意味するが、それは成功が失敗に変化する瞬間でもある。
一方、失敗が終わりを意味する場合ももちろんあり、それは「目的の諦め」や「方法の破たん」を意味している。
だがもしも、そこで新たな目的を見出して、次の実現に着手するなら、この失敗は終わりを意味しない。
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このように、成功を「到達点(ゴール)」、失敗を「通過点(プロセス)」と考えれば、全ての人が「失敗状態にある」と言えるだろう。
つまり、我々にとって成功は目指すゴールに過ぎず、自分自身は常に失敗状態の中にいる。
ところが、人々が失敗を忌み嫌い、成功の話ばかりしたがるのはなぜなのか。
それは、通過点にいつまでも留まる訳にいかず、「居られない場所」がやがて「居たくない場所」に転じるから。
苦労があってこそ、その後に楽が待っているのに、苦労をしない楽を求めるようになるのと同じように。
だが、失敗無しの成功に、苦労無しの楽に、僕は何の魅力も感じない。
なぜなら、毎日の失敗や毎日の苦労が、成功や楽と関係無いなんて、寂しいじゃないか。
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失敗は成功の母というが、成功が失敗の上に成り立っている以上これは単なる現実であり、慰めや励ましの言葉で無いことに気付いて欲しい。
むしろ「成功」という言葉こそが、終わりを迎えた人に贈る慰めの言葉だと僕は思う。
果たして「成功という終わり」と「失敗という継続」とでは、あなたはどちらを望むだろう。
少なくとも「終わりたくない僕」に限っては、「失敗という継続」を追求したい。
そしてできるなら、「成功と失敗を逆転する」ことで、「終わりに向かう世界」を「継続する世界」に変えられることを、一人でも多くの人に伝えたい。