成功のイメージ

まつむら塾実現学のゴールは、「成功のイメージ」を描くこと。
今日は、そんなゴールにたどり着いたいきさつについて、説明してみたい。
今の僕の原点は、「42歳で会社を潰したとき」といつも断言しているが、それは、そこから説明するのが一番分かりやすいという意味でもある。
数十億円踏み倒して、多くの方たちに迷惑をかけた上に、今でもおよそ30億円の借金(保証債務)を抱えているのだから、普通なら悲惨な大失敗と言えるだろう。
だが、もしもこの経験が無かったら、僕の人生がどれほどつまらないものになっただろうと思う度、僕はこの経験に対して感謝しかない。
少なくとも倒産以前の僕には思いもよらなかった現在とその延長上の未来が、今の僕には見えている。
決して倒産や失敗を賛美しているのでなく、「僕にとっての成功」が見えるからこそ、元気に前進できることが誇らしい。

僕がそんな実感を持つようになったのは、まさに倒産が確定し、周囲の人々に相談し始めた頃だった。
「どうしてくれるんだ!」という非難の中に、「どうしたいんだ!」という問いかけを聞いた僕は、自分が何を目指すのかを慌てて自問した。
当時42歳だった僕にとって、大切なのは会社の地位より仕事の報酬であり、「会社は潰れても、仕事を続けたい」という言葉が飛び出した。
その後、会社の破産と新会社の立ち上げを同時にこなす内に、その経験を買いたいと様々な方から誘いを受けるようになり、5年後には自分の会社を飛び出して世田谷ものづくり学校の校長となって世田谷区との付き合いが始まった。
世田谷区からの相談は、世田谷ものづくり学校はかっこよすぎて敷居が高いので、もっと誰でも気軽に相談できる「起業創業支援サービス」を提案して欲しいとのことだった。

当時すでにこうしたサービスはどこの自治体にも存在し、中小企業診断士による「事業計画の作成支援」や「創業融資の斡旋」が行われていた。
だが、勤労者の多くが都心部に通勤する世田谷区の昼間人口は高齢者、女性と子どもで構成され、区内での創業ニーズは極めて低く、むしろ営利以外の生きがいや、やりがいの創出が求められていた。
そんな認識を共有すると、いきなり「世田谷型起業・創業支援事業」の企画・運営を「あんたしかいない!」と依頼され、意気に感じた僕は二つ返事で引き受けた。
だが、当時すでに言葉の意味にこだわり始めた僕にとって、「起業と創業」の定義(あるいは違い)が気になった。
両者の違いについてはこれまでもたびたび述べてきたが、当時の僕は「他人から教わる創業」でなく「自分で考える起業」を支援したいと駄々をこねた。
もちろんそんなわがままは受け入れられず、「世田谷区起業創業支援事業」という枠組みで押し切られたが、お陰で僕のこだわりに拍車がかかることになった。

起業者を「起業家」、創業者を「創業家」と呼ぶなら、家という字の読みは「か」と「け」で異なる。
「起業家(か)」の仲間としては、建築家・芸術家・政治家・倹約家などがあるが、「創業家(け)」の仲間としては、天皇家・徳川家・松村家・総本家などが挙げられる。
「家(か)」が職業や役割を指すのに対し、「家(け)」は個別の組織や屋号を指しており、まさに、仕事と会社の違いを意味している。
つまり、僕の原点で目指した「会社は潰れても、仕事を続けたい」という叫びは、「創業はしなくても、起業は誰もが避けられない」と言い換えられる。
まさに、僕のこだわりは倒産経験なくして語れない、原点とは説明根拠のことだと思う。

そんな訳で、僕の言う「成功のイメージ」とは、「ぶれずに歩く道」みたいなもの。
これから歩む道は、これまで歩んできた道の延長上にあるに違いない。
それは決してまっすぐな道でなく、曲がりくねったデコボコ道かも知れないが、その道は自分にしか見えないだろう。
なので、その道の存在を信じ、見ようとするかどうかが肝心だ。
僕が「仕事と会社」の分かれ道と「起業と創業」の分かれ道を歩んできたことを参考にして欲しい。
僕にとっての「起業≠創業」のような、あなた自身のこだわり探しに、僕は付き合いたい。