1879年、アルベルト・アインシュタインはドイツで生まれた。
1905年に発表した「運動している物体の電気力学(真空中を飛ぶ光の速度が一定不変であることの論証)」が、後に特殊相対性理論と呼ばれ世界をひっくり返すことになる。
一躍著名人となった彼は「16歳のころ“光の速度で進んだとき、自分の顔は鏡に映るだろうか?”という疑問を持ったことが、全ての始まりだった」と述懐する。
1907年、有名な式E=mc2を発表したこの年には、「箱の中の観測者は、自らにかかる力が慣性力なのか重力なのか区別ができない」という、後の一般相対論の基礎となるアイディア(等価原理)を考案。
アインシュタインはこれを「生涯最良の名案」と述べた。
重力と慣性力の区別は、ニュートン力学が確立した17世紀からもはや世界の常識となっていたが、自分自身の体がそれを区別できない以上、それらは同じなのではないかという疑問。
いずれの疑問も極めて素朴な疑問だが、どう考えても理解できない説明できないことが共通する。
難問だからこそ立ち向かってしまう僕にとって、アインシュタインの業績は極めて興味深い。
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特殊相対性理論の核心は、光の速度が不変であることの立証だが、その答えは「空間と時間は速度に応じて歪んじゃう」というとんでもないものだった。
それまでのニュートン力学の世界では、時間と空間は誰にとっても共通で、全ての物体がその絶対的な時空の中を動いているはずだった。
だが、1887年に行われたマイケルソン-モーリーの実験によってすでに実証された「光速不変の法則」には、エーテルという未知の物質の存在が(無理やり)仮定されていた。
このことは、かつての天動説において、難解な天体の動きを見事に説明していた妙を思い出させる。
地動説を唱えたコペルニクスが「自分(地球)が宇宙の中心だ」という前提に疑問を持ったのと同様に、アインシュタインは「空間と時間の絶対性」に疑問を持った。
「素朴な疑問」とは、時として「根本的な疑問」であることを教えてくれる。
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いきなり卑近な話に飛ぶことをお許し願いたいが、僕は「素朴な疑問」を「根本的な疑問」に育てることが大好きだ。
「素朴な疑問」が誰もが知っている身近な疑問であるのに対し、「根本的な疑問」とは誰もが疑わない前提条件に対する疑問のこと。
つまり、「誰も疑わないのはなぜか?」こそが、僕の最大の関心事だ。
人はなぜ夢の実現を諦めるのか、なぜ大多数の人が「夢を実現できるのは一握りの少数」という前提を疑わないのだろう。
こんな疑問が「実現学」を生み出した。
そしてまた、「地主とは土地所有者のこと」のはずなのに、大多数の土地所有者が「自分は地主じゃない」と考えるのはなぜかという疑問から、「地主学(地主の学校)」が生まれた。
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アインシュタインの気付きは、「誰も疑わないことこそを疑うべき」と教えているが、科学とはそもそもそういうものだ。
すべてを疑うとは、性格が悪いのでもへそが曲がっているのでもなく、全てに興味を持ち考えることを意味している。
特殊相対性理論が生まれ受け入れられたのは、「光速不変の法則」を理解したいという欲求の高まりがあってこそ。
偉大なアインシュタインが世界を変えたのでなく、世界の変わり目にその気づきを担ったのがアインシュタインだっただけのことと僕は思う。
その後のアインシュタインは、自ら導き出した宇宙の膨張を否定しただけでなく、相対性理論から発想されたブラックホールの存在まで「そんなものあるはずない」と否定したそうだ。
結局、世界の科学者たちはアインシュタインを乗り越えてさらにその先を進んでいる。
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さて、今日の本題はここからだ。
僕は日本国憲法と相対性理論が極めて類似すると感じている。
2度の世界大戦を経て、戦争の仕組みになり下がった国家による世界は、いまだに戦争を回避する仕組みを作れていない。
「世界平和が実現しないのは、まだ誰もこの問題が解けていないから」と大多数の人が諦めているように思えるが、それは果たしてそうだろうか。
全ての人が望むなら実現しないはずがなく、そもそも世界平和を望んでいない人が大多数を占めているのかもしれないと僕は疑う。
そんな中、日本国憲法が掲げる「戦争の放棄」こそが、戦争を排除するための唯一明確な答えだと確信する。
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日本国憲法の特に戦争放棄の部分について、その非現実性や他律性(米国の押し付け)を唱える人々の愚かさは、これを「相対性理論」に置き換えることで良く分かる。
戦争を放棄せずに戦争を無くすことなど、本当にできると思っているのか。
それは時間と空間の絶対性を盲信するのと変わらない。
光速が一定であるように、戦争をしないという前提で、世界を考えるべきだと僕は思う。
戦争をしないなら、絶対に軍備など必要ないし、敵国の想定や威嚇はもちろんのこと、多数派工作すら無意味のはずだ。
という訳で、僕は戦争放棄を前提に、地域・国・世界を作ってみたい。
これに対する異論や反論があれば、是非とも聞いてみたい。