継続のための共有

僕の仕事は「共有の創出と運営」で、その目的は「永続の実現」だ。
とまあ、今でこそようやく「この目的に対してこの仕事に取り組んでいる」と言えるようになったが、決して以前からそうだったわけではない。
振り返ってみれば、これまで様々な経験をする中で、様々なことを考え述べてきた結果、あえて説明するなら「こうだ!」と言えるようになったに過ぎず、決して最終的な結論とは思えない。
現に「なぜ永続を目指すのか」、そしてそのために「なぜ共有が必要なのか」を、解り易く説明する必要があると思い立って、このブログを書き始めてみたものの、「なぜいきなりそこから話が始まるのか」という疑問が湧いてきた。
つまり、僕が実際に「疑問に対する答え」として行動しているならいざ知らず、実際にはたどり着いた現状が「何かの答えだとしたら」と、その問いを逆算的に遡って考えているに過ぎない。

そもそも、自分の取組を解り易く説明したいと願うのは、僕の取組内容とその必要性を理解してもらい、僕を必要としている人からの問合せを促すためだ。
だが正直に言えば、これまでもそうし続けてきたつもりだが、一向に思うような成果が上がっていないのが現実だ。
それはもちろん、僕の説明が未熟で下手なために、理解してもらえないことに起因している。
でも、もっと上手に説明し、理解さえしてもらえれば、きっと多くの問合せがもらえるなどと考えている訳でもない。
僕の話は難しいから分かり難いのでなく、新しいから理解できないに違いない。
人は、知っていることなら理解できるが、知らないことを理解するのはかなり難しいと僕は思う。
美味しい料理を作るには、どんなに完ぺきなレシピが有っても不十分で、実際にやって分かるコツや感覚が欠かせない。
『ニコマコス倫理学』でアリストテレスは、「徳はそれについての知識を持つだけではなく、何よりも実践するのが大事だ」としている。

だが僕は、ほぼ毎週このブログで自分の考えの説明に挑んでいる。
今日はこの行為が、自分の考えを誰もが理解できるように説明する試みでなく、自分の気付きとその喜びを書き留める備忘であることに気が付いた。
先ほど、人は知らないことを理解するのはかなり難しいと決めつけたが、決してできないわけではない。
気付きとは、まさに「知らないことを理解する瞬間」であり、僕が求めるそのものだ。
だから僕は、自分の気づきを皆さんに伝えることで、皆さんにも同様のあるいは更に別の気づきを促したい。
今日は、そんな気付きに基づいて、議論の的を絞っていきたいと思う。

今日の本題は、「永続のために共有が欠かせない」という気づきについての説明だ。
ここで言う共有とは、共同所有のことで、個人所有が社会の永続性を阻害していることに対する問題提起だ。
日本では、「個人の尊重(あるいは尊厳)」は最高の価値基準とされ、基本的人権の中でも平等権の直接的根拠とされている。
この考え方が西欧において「原理」として根付いた直接のきっかけは、市民が団結して絶対王政を打破した市民革命と思われる。
それ以前、個々ゆえに虐げられていた個人は国家より弱く、法の支配により保護しなければならないと考えられるようになった。
だが日本における「個人の尊重」は、列強諸国に追いつくため、富国強兵に向け国家主導で推進された「地域コミュニティの解体」だった。

先ほども述べたとおり、確かに個人は弱い存在だ。
もちろん、世界の存続さえも脅かすような強力な個人だって極めて少数存在するが、大多数の個人は無力で弱い。
だからこそ、個人を保護するという考え方は一見正しいように思われる。
だが、資本主義社会において保護する対象の基本的人権、そして平等の内容は、強くて豊かな者に有利な仕組みになっている。
これは、優秀で強いものが競争に勝つことで、社会を牽引すると同時に弱者を救うという理想に基づく現代日本の体制だ。
強者と弱者の双方を一律のルールで保護する以上、随所に格差や不平等が生まれてしまう。
個人を守ることで、孤立化が促進され、格差や不平等から目を背けることに帰結しているのが現状だ。
プライバシーやセキュリティという呪縛が、不当に美化されているのではないかというのが僕の気づきの核心だ。

一方で、すでに世界は個人主義を否定し始めている。
個人主義を一律主義と読み替えることで、一気に視界が開けてくる。
一律の反対、つまり多様性に関する議論が、まさに個人主義からの脱却だ。
このブログでも、すでに多様についてタグ付けされた記事がたくさんある。
https://nanoni.co.jp/tag/diverse/
「多様な人々」とは、「多様な個人」でなく「多様な集団」つまり「多様な社会」を意味している。
例えば「同性婚」について、「世界が一律に同性婚を認める」のでなく、「同性婚を認める社会と認めない社会が有って良い」と僕は思う。

こうした多様な社会の違いを規定するのは、構成員が共有(共同所有)する概念だ。
わが国で、共有を忘れ、個有(個人所有)することで破たんする代表的な概念が「土地」だということに、僕は笑恵館で気が付いた。
個人が独自(ユニーク)であることに甘んじず、集合が多様であることを追求したいと僕は思う。
僕が手伝いたいのは、あなた独自の仲間づくり。
あなたの願いを共有する仲間とともに挑めば、あなたの願いが叶うまで、仲間たちがいつまでも挑み続けてくれる。
以上、「共有は継続のため」という気づきを、僕はあなたと共有したい。