選挙のたびに、僕はどのように参加すべきか考え込んでしまうのだが、その原因の一つが幼少期の選挙経験だ。
僕が生まれた翌年の昭和33年に、明治30年生まれの祖母はお稲荷さん(おきつね様)から創価学会に改宗した。
もちろんその後公明党の支持者となり、選挙のたびに燃えがった。
親類縁者をはじめ、友人知人にとどまらず、家の前を通りすがる通行人まで捕まえて、指示を呼び掛ける。
「わかりました」と言った瞬間に、メモ用紙に記帳して、これを仏前に備えて朝晩拝む。
齢70のばあさんが、嬉々として取り組むのを見た僕は、小学校でその真似事をして遊んでいた。
僕の公明党部隊に対し、自民党部隊や共産党部隊が現れて、休み時間になると廊下で戦った。
なぜか公明党は選挙に強く、僕は連戦連勝でご機嫌だった。
家に変えれば、祖母もご機嫌で、いつも祝杯を挙げていた。
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だがやがて、修学旅行で日光に行く際に、祖母から変な指示が飛ぶ。
日蓮正宗以外の寺社はすべて邪宗教なので、行ってはならないし、鳥居をくぐるとお前に禍が起きる。
「ふざけるな」と思ったものの、僕の無事を祈って題目を唱える祖母には逆らえない。
「良い子に罰は当たらないから、気にしなくて大丈夫よ」という母を味方につけて、無事旅行に行けたが、このころから僕は宗教が嫌いになった。
婆さんの耳が遠いのを良い事に、朝晩の勤行は、母・兄弟との交流タイム。
大人になって結婚する際には、カミさんにこの事情細かく説明し、毎朝「拝む振り」に付き合ってもらった。
この事情を知る周囲の人からは、「素晴らしいお嫁さんをもらったね」と絶賛された。
そんなわけで、選挙に関する僕の原体験は、勝手に当事者となる戦いだった。
もしも親しい友人が立候補したなら、投票するだけでなく選挙活動も手伝いたくなるかもしれない。
でもそれは、選ぶこととは少し違うような気がする。
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選挙に対する不満や憤りを述べるのはたやすいことだし、それが僕だけのことで無いことは投票率が物語る。
先進諸国の国政選挙投票率を高い順に列挙するとこんな感じ。
スウェーデン: 85.8%(2014年)
イタリア: 75.2%(2013年)
ドイツ: 71.5%(2013年)
イギリス: 66.1%(2015年)
カナダ: 61.1%(2011年)
ロシア: 60.1%(2011年)
フランス: 55.4%(2012年)
韓国: 54.3%(2012年)
日本:52.3%(2014年)
アメリカ: 42.5%(2014年)
もちろん高い方とは言えないが、日本がずば抜けて低い訳ではない上に、何とアメリカより高いらしい。
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そこで気持ちを切り替えて、前向きな話をするために、「選挙の意義」に関する総務省の説明を引用した。
https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/naruhodo/naruhodo01.html
1. みんなの代表
選挙によって選ばれた代表者は、国民や住民の代表者となります。
したがって、その代表者が職務を行うに当たっては、一部の代表としてではなく、すべての国民や住民のために政治を行うことになります。
2. 多数決
民主政治の原則である多数決は、人々の意見を集約し、決定する際に用いる方法です。
より多くの支持を得た者を代表者とすることによって、政治の安定化を図ります。
3. 身近な選挙
「選挙」とは、私たちの代表を選び私たちの意見を政治に反映させるためのもの。
そのためにも、私たち一人ひとりが「選挙」に関心を寄せることで、「選挙」はもっと身近なものになるといえます。
4. 憲法と選挙
選挙に関する規定を定めた公職選挙法は、日本国憲法第15条で明記されている「公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する」という憲法の精神にのっとっています。
5. 選挙と政治
日本は国民が主権を持つ民主主義国家です。
選挙は、私たち国民が政治に参加し、主権者としてその意思を政治に反映させることのできる最も重要かつ基本的な機会です。
6. 政治と国民
「人民の、人民による、人民のための政治(政府)」。
民主主義の基本であるこの言葉は、私たちと政治との関係を象徴する言葉です。
国民が正当に選挙を通して自分たちの代表者を選び、その代表者によって政治が行われます。
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この説明を読むことで、僕の疑問は解消しただろうか。
いやむしろ、次のような6項目の分かりやすい確信に変化した。
1. 選挙で選ばれる人は、みんなの代表からほど遠い「一部の代表」に過ぎない。
2. 多数決は、民主政治の原則のはずなのに、人々の意見を集約せず多くの反発を生み出す。
3. 身近な選挙にするために、議員数が無駄に多数化している。
4. 公職選挙法による選挙は、日本国憲法第15条に基づく「公務員の選挙」に過ぎない。
5. 選挙は「日本は国民が主権を持つ民主主義国家と思わせる仕組み」に過ぎない。
6. 「一部の人の、一部の人による、一部の人のための政治(政府)」が実態に近い。
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国づくりを標榜する僕は、「国家=社団法人」と捉えている。
ならば、日本国籍を持つ国民は、この法人に所属しているはずだ。
日本という法人は衆議院と参議院という2つの議会と、内閣という理事会を持っていて、基本的には議会に所属する議員の中から内閣に所属する理事を選ぶ「議院内閣制」という仕組みを採用している。
内閣という理事会のもとに、諸官庁や自治体と呼ばれる執行部門が組織され、日本社会を運営していることになっている。
だが僕は、役所で「お客様」と呼ばれた時に見破った。
僕らが、日本という法人の「構成メンバー(主体)でない」ということを。
その上「個人主義」という名目で、分断孤立させられていることを。
ならば、僕ら自身が小さな国を作ろうと思う。
参議院選挙は、「日本という法人」の「議員という公務員」の「顧客による人気投票」と分かったので、ちょっとすっきりした。