本当の敵

いよいよ新型の感染拡大が本格化してきた。

新年を目前に、恐らく今年最後の投稿となるこの記事は、やはりコロナについて語らずにはいられない。

これまで世界の感染者数は、すでに8千万人を超え、人類史上最悪のパンデミックとなることはほぼ確実だ。

もちろん多くの人が亡くなるだけでなく、その拡大を防ぐために多くの犠牲を伴うという意味で、未曽有の災害ともいえるだろう。

だが、かつてほとんどすべての生物を死滅させた巨大隕石の衝突や、氷河期や温暖化などの気候変動など、広い宇宙の長い歴史からみれば、いずれもちっぽけな出来事に過ぎない。

僕たち人間が生き残るためには、たとえ宇宙のちっぽけな出来事であっても、真剣に立ち向かわなくてはならない。

僕はこの「真剣な気持ち」を感じるとき、このコロナ禍がとても愛おしく思える。

そもそも感染症に侵されて死ぬことは、生物にとってごく当たり前の出来事で、車に轢かれたり地震で生き埋めになる方が、はるかに悲惨な死に方だ。

ウィルスとは、今から35億年前に単細胞生物が生まれた時からの永い付き合いで、これからも互いに影響しあいながら付き合い続けていくだろう。

ウィルスを無力化する薬を使うから、その薬が効かないウィルスが現れるのであり、医学の進歩がウィルスを作り出しているのは、コンピュータソフトを脅かすウィルスと同じこと。

もしも人間生活に害を及ぼさなければ、誰もその存在にすら気づかずに、感染が問題視されることもない。

昨今、新型コロナウィルスの変異種が問題になっているが、感染しても無症状=ほぼ無害なウィルスだったために、その変異に気づくのが遅れたとしたなら、今後も無害で未知のウィルスがいつ有害化するかなど、わかるはずもない。

こうして考えていくと、ワクチンや特効薬の開発には期待と虚しさが同居する。

ワクチンで発症を抑制し、発症後は特効薬で退治するという筋書きを実現するには、時間と運が必要だ。

その上、新型ウィルスを見つけてからワクチンや特効薬を開発している限り、新たな新型の発生を防ぐことは永久にできない。

そこで今、重要視されているのが様々な検査の取り組みだ。

ウィルスは、宿主に寄生し、感染することでしか繁殖することができないのだから、感染者を発見し隔離することが対策であり、感染者を救うのは別の問題ともいえる。

その証拠に、過去のパンデミックはいずれもワクチンや特効薬のない時代に発生し、すべてが終焉している。

つまり人類は、ウィルスとの戦いに負けたことはない。

でも、よく考えてみれば、そもそもウィルスと人間は戦ってなどおらず、地球上で共生しているだけのこと。

宿主を滅ぼそうとするウィルスなど居るはずもなく、うっかり毒性の強いウィルスが生まれると、パンデミックというを犯し、滅びているのはウィルスの方だ。

だとすれば、今回のコロナ禍は、誰と誰が戦っているのだろう。

そして、僕たち人間は、どういう状況になることを願っているのだろう。

ウィルスとの戦い方は、先ほど述べた「検査(感染者を見つけることと)+隔離(ウィルスを退治すること)」が有効だ。

ワクチンは、当てずっぽうに地雷を仕掛けるようなもので、武器メーカーを設けさせる上に地雷だらけの危険な世界を作るだけ。

少なくとも「新型コロナウィルス」が敵ならば、敵を見つけてから退治する必要があるだろう。

今、コロナに感染した人だけでなく、その発見や治療に従事する人までが差別や迫害を受け、感染者が発生した地域で暮らす全ての人が、未発生の地域から拒絶されている。

さらには、感染のリスクとされる人との接触がすべて危険視され、ビジネスも生活も、すべてが崩壊していく。

だからこそ、冷静に考えよう、全ての原因は「感染の疑い」だ。

これこそが僕たちの真の敵であり、この敵に立ち向かうには「感染者を見つけ出す検査しかあり得ない」と僕は確信する。

ワクチンの開発に何兆円も投じているというが、検査方法の開発はどうなっているのだろう。

感染していない人が、いくらマスクをして、自宅にこもっても何の意味もない。

そんなこと、みんなわかりきっているのになす術もないという諦めが、このパンデミックをさらに悪化させると僕は思う。

疑う心で滅びないように、検査方法の開発者にはぜひ頑張って欲しい。