今朝、朝食を食べながら横目でテレビを見ていたら、92歳の現役保育士さんが紹介されていた。
大川繁子さんは、足利市にある小俣幼児生活団の主任保母さんで、先月出版した『92歳の現役保育士が伝えたい 親子で幸せになる子育て』が話題になっているそうだ。
でも、僕が紹介したいのはこの本のことでなく、テレビで垣間見た彼女の身のこなしや表情だ。
子どもたちに囲まれて暮らすことは、元気をもらえる一方で、とにかくくたびれることだらけ。
だが、彼女は至って元気で若々しく、笑顔でこんなことを語っていた。
「今が一番楽しい。だから楽しい時を長生きしなきゃ損じゃない。若い時散々苦労したんだから。」
そして僕がたまげたのは次の一言だ。
「そしておかしなことに、今が幸せだと、昔の苦しかったことや恨み事があったからこそ、今の自分がいると思えてくる。」
過去の苦しみや恨み事こそが、今の幸せを生み出している・・・と言わんばかりだ。
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僕はいつも堂々と、「今の自分の原点は、会社の倒産経験です。」と自分を説明する。
なのに、頭の片隅では不謹慎というか、おごりの様な違和感を感じていた。
倒産とは決して良いことではないし、周囲に多大な迷惑をかけたのだから、自慢するなどもってのほかで、むしろ恥ずべきことだと思う。
だが、現在の僕が何事にも疑問を持つ思考法や、何でも試しにやってみる行動パターンは、どう考えてもあの時から始まった。
おかげで多くの人から疎まれたり、多くの失敗を繰り返すことになったけど、他方では一部の人たちから喜ばれ、前例のない新たな実績を作ることができた。
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だが考えてみると、自分の不謹慎や驕りを感じるのは、疎まれたり失敗する時であり、喜ばれたり成功した時には、当時の自分を助けてくれた人たちへの感謝や、喜びを思い出している。
つまり、過去の良し悪しはその時に決まるのでなく、それを思い出すときの自分が決めている。
大川さんの言葉は、そういう意味だと僕は思う。
だとすれば、すべての過去の良し悪しを決めるのは今現在の良し悪しだ。
これまで僕は、「過ぎ去った過去とは、変えようのない取り返しのつかない現実」だと思い込んでいたが、それは間違いかもしれない・・・と今日気付いた。
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ここまで書いた今、「終わり良ければすべて良し」という言葉が頭をよぎった。
終わりが良いということは、そこに至るすべてのプロセスが良かったということだ。
だとすれば、「終わりを良くすればするほど、過去が良くなっていく」というのが、大川さんが気付いた「おかしなこと」だと僕は思う。
若いころの損を年老いてから取り戻すだけでなく、年老いて楽しむほどそれまでの苦労まで愛おしくなる。
「過去は自分で作るもの」それが今日、僕の気づいたことだった。
NHKニッポンぶらり鉄道旅「いまが青春を探してJR両毛線」(2020/6/6再放送)より