僕は、残念だけど今年の東京オリンピックは中止すべきだと思う。
世界は今、自国内だけでなく、世界全体のコロナウィルス拡散と収束の手順を示し、スケジュールを描くべきだ。
もちろんその内容は、不確定な要素や憶測に満ちているだろう。
だが、すべての国や地域が力を合わせて立ち向かうためには、最終的な収束のビジョンを示すことが欠かせない。そして、これはオリンピックについても同じこと。
実際に東京でオリンピックを開催するのなら、すでにコロナウィルスの影響が出ているはずだ。
もしもオリンピック開催に不利な情報の隠ぺいが行われているとしたら、それこそ後の祭りだ。
今すぐに中止を決められないのなら、現在危ぶまれているオリンピック開催のための必要条件を整理し、それらが満たされなければオリンピック中止を決める、期限を今すぐ決めるべきだ。
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先般首相が発表した「全ての学校の臨時休校」が、あまりにも唐突だったと非難されているのに、更なる唐突を容認する特別措置法が可決された。
臨時休校やイベントの開催などは、甚大なる社会経済への影響からその是非が論じられているが、この措置法はこうした議論を回避するためのものではない。
むしろ、たとえ議論が膠着しても、政府の判断で政策を執行できる権限のはずだ。
だからこそ、今論じるべきことは、これまでの手続きの是非でなく、これからの見通しやその対策に関することのはず。
東京オリンピック開催についても、アンタッチャブルで放置せず、現実論を戦わせるべき時期はとうに過ぎているかもしれない。
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先日僕は、「Fukushima50」を観た。
2011年3月11日の東日本大震災が招いた東京電力福島第一原子力発電所の事故を、ドキュメンタリックに再現する映画だった。
震災と津波で孤立状態となってしまった現場で、立て続けに起きる原子炉の崩壊が、ぎりぎりのところで収束するまでのプロセスは、まさに死を覚悟した戦いだった。
だが一方で、自衛隊や米軍の支援を即座に受け入れようとしない東電や日本政府の独りよがりが描かれていた。
その後の「廃炉作業」や「汚染水の処理」についても、「世界の英知を結集しよう」という提言やイベントが繰り返されているのに、政府は「順調な進捗」と言い続けるばかり。
ここでも、未来に向けたスケジュールと課題はうやむやにされ続けている。
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「世界と情報を共有し、世界の英知を終結すること」こそが大切だと僕は思う。
それは、解決ではなく、むしろ失敗への最善策だから。
すでに福島の原発は、世界最悪の事故とプロセスの真っただ中だ。
この失敗が招く世界への迷惑は、いくら謝罪しても足りないだろう。
ただ有難いことに、僕たちは当事者として、世界最大の被害者でもある。
僕たちが素直に救いを求め、謙虚に知恵を求めるなら、それに応えることこそが世界の義務だと思う。
みんなが力を合わせた結果の失敗なら、誰も責めることができず、すべてを許すしかないはずだ。
今こそ「東京オリンピックをどうすべきか」を、世界に問うべきだ。
オリンピックの「開催」と「中止」のいずれが失敗を招くのか、世界の英知を集めるべきだと僕は思う。