お金が必要ない・・・究極の贅沢

僕はお金が大嫌いだが、その訳は、次の二つの勘違いを生み出すから。

一つは「お金があれば何でもできる」、そしてもう一つは「お金が無いと何もできない」という勘違いだ。

この勘違いが、お金の価値を崇拝するまでに高めてしまい、人々はお金に支配されている。

そして、大切に思うあまり溜め込んで使おうとしないから、社会で使われるお金が増えずに価値が下がらない。

これに目を付けた日本政府は、「国債」の名のもとにお札を増刷して、国家予算を水増ししている。

見掛け倒しの社会福祉や公共事業が充実し、誰もがその恩恵を受けているので、安倍政権は盤石だ。

確かに、デフレ経済が続いて物価が上がらず、貧しくても何とか生きていける社会が出来上がっている。

でも、はたしてそんな社会やそんな国を、僕たちは本当に望んでいるのか。

お金とは、他人に何かをやってもらうためのチケットで、他には何もできることは無い。

石油もダイヤも美味しいマグロもすべての資源はタダで手に入るし、どんなに頭の良い動物でさえ、お金を欲しがるのは人間だけ。

だが、お金は何にでも使える便利なチケットなので、他人がやれることならおよそ何でも頼むことができる。

それがたとえ人を殺すことだって出来るのだから、何でもできると勘違いするのは無理もない。

だが、肝心なことを忘れないで欲しい、それは、他人でなく自分自身がやることだ。

お金でできるのは、自分ができないことをしてもらったり、やりたくないことをやらせたり、やらずに済ますことだけだ。

お金が便利で大切なことは、僕もよく知っている。

でも、便利とは楽なことで、楽とは何かをしないで済むことでもある。

つまり、「お金で何でもできる」と思う人は、「自分は何もせずに済む」と考えるからではないだろうか。

僕がお金を嫌い、恐れる理由は、まさにここにある。

お金さえあれば何もせずに済むと考えて、何もしないことを目指す人など、この世界に必要だろうか。

誤解を恐れずに言うならば、お金が無いと生きていけないと言う人に、生きろと言えるだろうか。

お金というものが発明される以前は、人間だってお金なしに生きてきた。

お金が普及する前は、普通の人はお金なしで生きてきた。

そして、現代社会でさえ、お金などなくても多くの人が生きていることを、忘れてはならないと僕は思う。

お金がない時代に生きられなかった人が、お金のおかげで生きられるようになるのなら、それは素晴らしいことだ。

だが、お金が無ければ生きられないということだけは、絶対におかしいと僕は思う。

そんなお金は社会を豊かにするどころか、むしろ貧しくしている原因だ。

貧富の格差が拡大するのは全か悪か。

誰もが苦労せず楽に生きられる社会を目指しているなどと、でたらめがまかり通っていることに、僕は怒りを覚える。

生きるとは、自分で何かをすることだ。

「何でもやれ」と言うのでない、行為でなく思うことだけでも「何かをやる」ことだと僕は思う。

だから、やることが無くなれば死ねばいいし、出来なくなることが死ぬことだ。

お金は自分で出来ないことをしてもらえる便利なサービス券だけど、自分で何もしないのは死んでいるのと同じこと。

だからお金がないことをできない理由にするのは止めよう。

むしろ、お金が無くても何でもできることこそが豊かさだと僕は思う。

だから僕は、お金に頼らないを応援する。

お金に頼らず自分の力で何かを成し遂げることこそが、究極の贅沢だと、僕は思う。