僕は今、「土地を総有するための法人作り」に取り組んでいるが、先日「土地の共同所有者の意見が分かれた時はどうするんですか?」という質問を受けた。
僕はすかさず「もちろん多数決でなくコンセンサス方式で決めます」と答えたのだが、これは大切なことだと気がついた。
コンセンサス(consennsus)とは、「複数の人の合意や意見の一致」を指す言葉。
「根回し」という意味も含まれるようだが、あくまで合意を形成するための働きかけのこと。
同意する人が複数人でなく一人の場合は、賛同・アグリーメント(agreement)という言葉を使う。
また、コンセンサスは、単に意見が一致するというものでなく、会議などでは全会一致の合意を指し、こうした反対意見の無い状態で決定する会議方式をコンセンサス方式と呼ぶようだ。
今日は、コンセンサスについて考えたい。
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僕が多数決を否定するのは、それが目的でないからだ。
目的はあくまでコンセンサス、つまり全員の賛同に基づく決定であり、一人でも反対者がいれば決定できない。
そもそも土地の総有とは、個人の土地所有者がその所有権を仲間と共同所有すること。
地域社会のコミュニティに全会一致を求めるのは難しいかもしれないが、土地を総有するコミュニティの中に仲間以外の反対者は必要ない。
もしも仲間の中に反対者が生まれたら、そんな決定はしない方がいいし、少なくとも所有者本人が反対することなどすべきでない。
それでも決定したいなら、全員が賛同するよう説得(根回し)すればいいし、それでも反対する人はコミュニティから外せばいい。
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地域社会におけるいじめや仲間外れは悪いこととされているが、土地総有の仲間にそれは適応すべきでない。
土地を総有し家族や身内となるためには、むしろ、来るもの拒まず去る者追わず、コミュニティへの参加を自由意思に任せるべきだろう。
そして、賛否や好悪は明確にした上で、それらを乗り越えるコンセンサスを作る必要がある。
たとえ心の中で反対しても、コンセンサスへの参加こそがコミュニティ参加の条件だ。
だが一方で、公共性を掲げる地域社会では、少数意見や反対意見を尊重し、あらゆる人を受け入れる必要がある。
そのため、意見が分かれた時は多数の意見を優先し、少数意見は反対者のままコミュニティに参加する。
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2005年秋、鳥インフルエンザの大流行の危機感が高まった時、ニューヨークの病院で危機を想定した訓練が行われた。
数百人の高熱患者が列をなすと、病院内にある酸素吸入器をどのようにやりくりするかという課題が発生した。
酸素吸入器の大部分は入院患者が使用しているので、①重篤な患者に優先的に付け替える、②女性や子供などの弱者に付け替える、③若者を優先し高齢者から順に付け替えるなどの意見が出た。
だが、いずれの案も賛否が分かれ、なかなか方針が決まらないので、アンケート調査を行って市民の意見を分析することとなった。
その結果、①案と②案はすべての分類において賛否が分かれたが、③案だけはすべての高齢者が賛成したという。
つまり、高齢者の酸素吸入を若者に付け替えることに反対したのは、一部の若者だけだった。
結局その病院では、酸素吸入器の需要が高まったときは、高齢者から若者に付け替えるというコンセンサスが生まれた。
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こうして生まれたコンセンサスにも、反対者がいないわけではないが、意見と合意は別のもの。
たとえ反対でも合意には賛同して構わないし、合意に対しても反対を貫くならコミュニティを去ればいい。
多数決は半数以下の反対者を受け入れる寛容な民主主義と思われがちだが、実際には半数にも満たない多数派(自民党のような)が支配する不満だらけの社会を生む。
多数決で大きな社会を作るより、コンセンサスを守る小さな社会をたくさん作ることが自治の本来の姿だ。
コミュニティの存続とは、そこに住み人の数でなく、コンセンサスを守ることでは無いだろうか。