NHKの朝ドラを見ながら納豆を食べるのが僕の朝のスタイルだ。
9月に終わった「半分青い」では、昔校長を務めた世田谷ものづくり学校が起業の舞台となってびっくりした。
そして、今度の「まんぷく」は日清食品の創業者安藤百福さんの話とあって、今後の展開が今から楽しみだ。
安藤百福さんで思い出すのは、電通をやめて世田谷ものづくり学校で起業したT君のこと。
彼がカップヌードルのCM「NOBORDER」シリーズの最後を宇宙船の中で撮るために、宇宙用のカップヌードルの開発を提案したところ、安藤百福さんは「即席ラーメン、容器付きラーメンに続く3つ目の世界初ならやろうじゃないか!」と答えてくれたという。
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今朝の「まんぷく」は、終戦から半年ほどが経ち、戦地から家族も戻ったが、好調だった「ハンコや」ビジネスにも競合が現れ始めたので、そろそろ居候をやめて本格的な起業に挑む話。
ひょんなきっかけで「旧陸軍の古倉庫物件」に出会い、いよいよ引っ越しを決めた。
それを家族に告げるとき、主人公の福子が「引っ越し先の泉大津は海辺の町で、畑もたくさんあるから食べるには困らない」と笑って言った。
僕は最後の言葉「食べるには困らない」を聞いて、本当にうらやましいと感じた。
そして同時に、これこそが僕の目指す世界だと直感した。
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「食べるには困らない」とは、言い換えると「お金が無くても食べられる」という意味だ。
例えお金を払えなくても、仕事や用事を手伝うことで、食べるものを分けてもらえることだと思う。
考えてみれば、食事にお金がかかるのは食料を産まない都会の話であって、食物を生み出す田舎ではそれを手伝うことで食事を分けてもらえるわけだ。
そもそもすべての生き物は、タダで生活しているわけで、人間だけがより豊かに暮らすためにお金を生み出したはず。
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だとしたら、なぜ「誰もが食事に困らない世界」を作らないのだろう。
確かに、お金の力で贅沢ができるのは人間の特権かも知れないが、お金が無いと生きていけないのでは動物以下だと僕は思う。
もちろん、生きるのに必要な粗末な食事で構わないから、誰もが食べられる社会を作れないものだろうか。
例えば、一食200円だとすれば、1日600円だから、ちょっとした労働の対価と考えれば成り立ちそうだ。
たとえば、一人暮らし世帯への配食サービスをすれば、報酬として食事ができるとか、食事サービスとの組み合わせが合理的かも知れない。
雇用を生み出すというよりは、より大勢の人に無償の食事を提供し、起業や修行へのチャレンジを促したらどうだろう。
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これは、住宅にも言えることだ。
最低限の住まいと住所を無償で提供できる社会はできないものか。
もちろん建物は狭くてもぼろくても構わない。
空き家であれば、掃除をしてきれいに使うことで、家賃と相殺してもいいと思う。
そして、衣類は古着を活用すれば何とかなるだろう。
こうすれば、最低限の衣食住を無償で提供できるかもしれない。
こんな世界を作ろうといくら叫んでも、そう簡単には実現しないだろう。
だが、所有者がその気になって空き家や余った部屋を使えば、すぐにでも実現できるはず。
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こうした取り組みを、「国づくり」と名付けたい。
誰もが夢に挑むため、自分の土地や家を使って「失敗しても生きていける仕組み」を作ることだ。
かつて日本はそうだったことを、今朝の「まんぷく」が教えてくれた。
戦争を捨て、働けば食べられる国だったからこそ、日本は誰にもできない成長を遂げたのだと思う。
「働くこと」と「成功する」ことは違うことで、「生きること」と「豊かなこと」は違うことだった。
ところが今、儲からない仕事は価値を失い、貧しい人は生きていけなくなりつつある。
だからこそ僕は、豊かな人が貧しい人を「お金を使わずに助ける仕組み作り」に挑みたい。
貧富の格差を許容する代わりに、貧しい人も元気に生きていける社会を目指したい。