稀有な存在

今週の金曜日、「コスタリカの奇跡」という映画の上映会に行く。

ご存知の通り、コスタリカは1948年に軍隊を廃止し、軍事予算を社会福祉に充て、国民の幸福度を最大化する道を選んだ中米の小国だ。

その奇跡に迫ったドキュメンタリー映画を見る機会がやっと訪れた。

世界には集団安全保障体制に加盟していたり、特定の国に防衛を依存することなく軍隊を持たない国がいくつか存在するが、具体的にはバチカン、リヒテンシュタインなどの極小国や、ハイチ、ソロモン諸島、ツバル、バヌアツ、モーリシャスなど小島国家、そしてアメリカの介入によって軍隊が解体されたパナマなどで、コスタリカのように自ら軍を解体した国家は稀有な存在だ。

僕はこの「稀有な存在」であることに興味を持つ。

本当は映画を見てからと思ったが、あえて見る前に僕の興味を説明したい。

Goo辞書によると、稀有とは次のような意味を持つ言葉。

  1. めったにないこと。とても珍しいこと。また、そのさま。まれ。
  2. 不思議なこと。また、そのさま。
  3. とんでもないこと。けしからぬこと。
  4. (「希有の命」の形で)危うく死を免れること。

これって、まさに「日本」のことを指していると思えること。

そして、僕自身がそんな存在になりたいと願っていること。

つまり、「稀有な存在」は僕と社会をつなぐ大切なキーワードだ。

第1に、日本は「とても珍しい国」だと僕は思う。

「東洋のガラパゴス」とは決して自虐的表現ではなく、イギリス中心の世界地図を見れば、本家ガラパゴス諸島と我が日本列島が東西の辺境にあることは明白だ。

世界の端に位置することは稀有になる要因でもありそれを維持する理由ともなる。

言語などの文化が入ってくることはあっても、さらに伝える先はない。

どんなに珍しいことでも、それが伝搬して広がれば珍しくなくなってしまう。

つまり稀有とは、他に影響を及ぼさず稀有であり続けることを意味している。

だが、情報ネットワークで結ばれた現代社会において、稀有な存在こそが情報の発生源となる。

近年外国人観光客が急増しているのは、日本の情報発信がうまくなったのではなく、日本で発生する情報を世界の人々が拾えるようになったからだと僕は思う。

自分自身も発信上手になる前に、発生源になりたいと僕は思う。

第2に、日本は「とても不思議な国」。

日本流が普及しないのは辺境や行き止まりという理由だけでなく、不思議で理解しにくいためでもある。

実際日本の社会は理解しがたい矛盾の塊だ。

世界に例を見ない経済成長を遂げた国なのに、その生産効率は低い。

テロ組織ややくざの先進国なのに安全で治安が良い。

GDPの2倍も借金があるのに国民は平然と暮らしている。

その他にも核や原発、軍備、食糧、エネルギーなど世界標準からかけ離れた社会のバランス感覚は、不思議なことばかりだ。

しかしこれらはすべてが関連して一つの全体をなしている。

そして僕たちすべての日本人が、その不思議を抱えて生きている。

僕自身、自分が何を考え目指すのか、底知れぬ不気味を感じることがある。

それは次の話にも関係していく。

第3に、日本は「けしからん、とんでもない国」なのかもしれない。

僕は「日本は唯一の被爆国」という言葉をよく耳にするが、その意味を深く考えたことがあまり無かった。

ところが、先日テレビの議論を聞いていて愕然とした。

それは、「核抑止力」の有効性を最も顕著に表しているのが日本とイランだという話。

核攻撃を受けた国がどうなるかは日本を見ればよくわかる、そしてアメリカの武力によってイラクとリビアの政権が滅ぼされたのにイランが無事でいられるのは核武装のおかげだというのだ。

だからと言って、北朝鮮の金正恩を擁護する気は毛頭ないが、戦後の歴史を振り返ったとき、こうした見方を否定するのは難しい。

憲法で「一切の武力行使を放棄」しているはずの日本が、被爆してなお否定できないことこそ、核軍備を正当化する最大の根拠となってはいないだろうか。

そして第4に、日本は「危うく死を免れた」国であること。

会社倒産を経験し、30億の個人債務を抱えて生き延びた僕には、その意味が少しわかる。

生き延びたことに対する感謝の気持ちと自信のような気持のどちらもが、とてつもなく大きくて比較できない。

普段は感謝の気持ち先に立ち、底なしの謙虚さをもたらすが、自信の気持ちが沸きあがったら最後、傲慢な自分を抑えることができなくなる。

周辺国から見た日本は、謙虚なふりをした傲慢国家なのではないかと僕は内心思っているのは、それは僕自身にも当てはまることだから。

だがその本質は「稀有」ということが先に立ち、その陰に隠れて目立たない。

「けしからん」よりも「不思議とか珍しい」が目立っているだけのことではないだろうか。

「コスタリカの奇跡」は、残念ながら世界に平和をもたらすには至っていない。

だが、僕がこの映画に期待するのは、「日本がやりたくてもできずにいることを、やり遂げた国を見せてくれること」と、「今、日本が何をなすべきかを気付かせてくれること」の2点だ。

そして同時に、この2点は僕自身が強く求めていることでもある。

映画を見る前に、その意気込みを語るなんて、今日は不思議な文章を書いてしまった。