6月12日、JJW40周年演奏会に行ってきました。JJWとはJazz Junk Workshop というビッグバンドの名称で、今から40年前僕が大学に入った年に産声を上げました。昨年安田講堂の改修工事が完了するという話を聞きつけて、何とかここで演奏会をやってみたいということになり、OBの有志があの手この手で学校当局に食い下がり、ついにポピュラー音楽初の演奏会を実現しました。当日は、もうよれよれの年寄りバンドから、現役のレギュラーバンドに至るまで6つのバンドが登場し、見事なアンサンブルを聞かせてくれました。そして、終了後は世代を超えた懇親会。懐かしい創設メンバーと杯を交わした後、後輩、現役のテーブルをめぐり厚く語り合う・・・つもりだったのですが、何かこう、盛り上がらないというか、熱いものが感じられず、白けた僕は1時間程度で退散してしまいました。
「なぜこんなに楽しみにしてたのに、そして期待以上の素晴らしい演奏会だったのに、僕は酔えずに白けてしまったんだろう」と、帰りの電車の中で考え込んでしまいました。40年前の1976年当時、僕はやかましいJazzに目覚めたばかりで、スタンリークラークやミロスラフビトウズに感化されエレキベースに夢中でした。折しもウェザーリポートにベーシストのジャコパストリアスが加入したばかりで、僕も買ったばかりのプレシジョンベースのフレットを削って夢中にコピーしてました。ちょうどそのころ、友人から「ビッグバンドを作るんだけど、手伝ってくれないか」と声がかかり、バンドなら何でもよかった当時の僕は、即座に飛びつきました。そのころすでに、ビッグバンドは古臭いイメージのジャンルだったので、いきがって、知ったかぶりしながら付き合ってはみたものの、翌年には後輩にポジションを譲り、僕はJJWから離れました。でも、メンバーも揃わないへたくそ時代を共にした仲間とは、ずっと交流が続きました。
JJWの他にも、僕はいくつものユニットを作り、いろんな音楽をやりました。でも、そんなバンドはいつしか消えていき、ビッグバンドのJJWだけが世代交代を繰り返しながら連綿と続いてきました。19歳から40年が経てば僕が59歳になるのは当然です。この日の僕にとって、19歳の現役メンバーと語り合うことは、「感無量」だったんです。ところが、19歳の現役はもちろんのこと、後輩たちは誰一人として「感無量」とは程遠い表情です。僕の妹を知る後輩から「松村さん、伝説のお兄さんですよね」とか言われても、なんのこっちゃです。結局、僕と感慨を分かち合ってくれるのは、40年前から知っている創設当初のメンバーだけで、あとの人たちとは、話せば話すほど白けるばかりでした。さびしいけど、そういうことなんですね。40年の感慨を分かち合えるのは、結局40年付き合った人だけということです。39年の人とですら、分かち合うことはできませんでした。
僕はあらためて「創立メンバーだったこと」に感謝したくなりました。当たり前ですが、「創立記念」とは、「創立を後から思い起こすこと」であり、その体験は創業メンバーにしかわからないことです。だから僕は後輩たちに「君らもここに参加するのはいいが、自分で何かを始めなさい。」と言いたくなりました。創立すること、創立メンバーになる喜びを知ってほしい、とつくづく感じてしまいました。年を取るって、こういうことなのかもしれませんね。