「雇用創出」という言葉を辞書で引くと「就労の機会を新たに作り出すこと。経済・雇用情勢の悪化による離職者の増加に対応するため、新規・成長産業の振興、創業・起業の支援、ワークシェアリングの促進、経済刺激策の実施などによる雇用機会の創出が図られている」とあるが、この説明には根本的な欠陥があると思う。
それは、離職者の増加=雇用喪失の原因は「経済・雇用情勢の悪化」としている点だ。
つまり「雇用が減ることは悪いことだから改善しよう」と言っているにすぎないことだ。
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雇用創出を促進するためには、雇用創出の目的を明確にし、社会全体を雇用創出に取り組むよう誘導する必要があると思う。
なぜなら、現実のビジネスにおける生産システムの合理化や省力化の対象として、人件費がその筆頭に挙げられるからだ。
そもそもビジネスが雇用の創出どころか雇用の削減を目指しているのでは、話にならない。
一刻も早く「ビジネスを増やせば雇用が増える」というでたらめな前提から見直さないと、膨大な予算が裂かれ続け、無駄な浪費が繰り返されるだけだ。
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そもそも人件費とは、本当に非効率の原因なのだろうか。
例えば機械の導入による雇用削減は、機械の方が酷使できて不満も言わず精度も高いという理由で行われる。
機械の購入費、システム費、維持費などの総額に対する生産性が人件費のそれを上回るから、生産性が高いというのだろうが、それらの費用はすべて社外に流出する。
より安い調達のために、その一部が海外にも流出するようになれば、カントリーリスクも発生する。
やがてそのビジネスは、外的要因に依存する脆弱な体制へと変化し、崩壊のリスクを高めていく。
昨今のシャープを始め、これまで営々と築きあげてきたはずの生産システムが、あっけなく崩壊するのは、その自律性(Antonomy)を失ったからだ。
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実際多くの巨大ビジネスが、必要な資源を世界中から自在に調達しているが、それには日本の「円」が他のどの通貨より安定信頼されていることが、大いに奏功している。
日本は「円に対する信頼」という面ではまさに挙国一致体制が確立しており、金融面の自律性においては間違いなく世界のトップクラスだ。
先進国中群を抜いて食料自給率が低いのも、エネルギー自給率が低いのも、すべては「金融的自律」と表裏一体だ。
だが、実はこの「自給率の低さ」こそが「雇用喪失」の正体だ。
「円」の力で、世界中の「いいとこどり」をしている限り、豊かでなまくらになった「国内労働力」などに用はない。
しかし、こうした危うい好循環の恩恵を受けるのは、世界規模で活動する大きなビジネスだけのこと。
そしてその内部では、更なる効率の追求が続き、「普通の人間」が生きていける場所ではなくなりつつある。
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雇用創出とは、こうした機械にも世界にも負けない人材の居場所を増やすこととは思えない。
誰もが真面目に作業することで報酬を得、それを使って家族を養える社会を作ることが目的のはず。
大多数の人が、社会のサポートを受けずに自立して暮らせる社会にするための、資源配分の仕組みのはずだ。
現在これが実現しているのは、公務員だけと言っていい。
彼らは「税収」を財源に、「必要な仕事をすること」に対して報酬を得る。
雇用とは、まさにこの考え方で増やすべきだと僕は思う。
雇用創出と事業創出は、全く違うことだということを忘れてはならない。
そこで僕が目をつけたのが、「不労所得」だ。
働かずして収入を得るなど、なんてもったいないことだろう。
せっかく収入があるのなら、それを財源に人を雇い、必要な仕事をさせればいい。
親の年金をあてにして、介護をしながら暮らす人が増えているが、見方を変えればこの人たちは、親に寄生(パラサイト)し、ボランティアで介護をしている扶養家族と言える。
もしも親が子供を雇用して、仕事をさせたらどうだろう。
子供はその収入で親を扶養すれば、パラサイトでもボランティアでもなくなるし、その仕事で社会に貢献し、更なる報酬を得ることになれば、また一歩自立に近づくことが可能となる。
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雇用創出とは、役所や大企業が取り組むことでなく、私たち市民自身がやるべきこと。
自立を阻む不労所得を労働の対価に変えることで、雇用はいくらでも生み出すことができるはず。
雇うことで自立を促し、その人に扶養してもらうことは、事業継承と同じこと。
廃業して遊んで暮らすのでなく、昔風に言えば「家督を譲り隠居して子に従うこと」こそが、雇用創出の本質なのではないだろうか。