キューバから学ぶ

オバマ大統領が現役大統領として88年ぶりにキューバを訪問しということで、連日キューバに関する報道や解説が続いている。

キューバといえば、アメリカの長年にわたる制裁による厳しい経済情勢にも係わらず、教育や医療サービスは充実していることで知られるが、このような福祉の充実がチェ・ゲバラという医師による革命に端を発していることを知らない人は多い。

ゲバラはアルゼンチンの富裕層に生まれ医師となったが、グアテマラ革命の失敗を目の当たりにした直後にメキシコで亡命中のカストロと出会い、キューバ革命に参加することとなった。

1956年12月、ヨット「グランマ号」にのってキューバに上陸するも、政府軍の攻撃を受け壊滅寸前になりながらも山岳地帯に逃げ込み、そこで革命軍を募り始める。

当初、貧しい山村の人々は革命軍には全く関心を示さなかったが、やがて野戦病院ができると状況は一変し、周辺地域から医療を求めて多くの人々が集まるようになったという。

つまり、キューバ革命軍はイデオロギーや社会への不満ではなく、医療サービスへの感謝が忠誠心を育んだともいえるだろう。

その後2年余りのゲリラ闘争の末、バティスタ独裁政権は首都ハバナを捨てて逃げ出し、ついに革命軍による社会主義政権が誕生する。

この政権が農地解放や産業の国営化などを進める中でアメリカとの関係を悪化させていった歴史がいま修復されようとしているのだが、僕が注目するのは、まさにその国づくりの中で「貧しいながらも医療優先」が一貫していたことだ。

それはなぜかと考えると、当然のことながら革命当初にさかのぼる必要がある。

貧しい山村に医療を提供してくれたことへの恩義がもたらした革命だからこそ、医療で心をつなぐ国づくりへと発展するのは、むしろ当然のことだったに違いない。

このことは「優先順位こそが世界を決める」を如実に物語っている。

今僕は、いくつかのプロジェクトで「助産院」と関わるようになった。

これは正式には「助産所」「助産施設」と呼ばれ、まさに「お産を助ける場所」のこと。

お産は病気ではないため診療所と助産所が明確に区別され、助産所はあくまで健康な出産のみを取り扱い、医療行為は行わない。

今から50年前は出産の多くは自宅もしくは助産所で行われ、産科診療所での出産はごく少数だったが、今ではそのバランスは完全に逆転し、ほとんどの出産は医療機関で行われるようになった。

その理由は、なんといっても安全性であり、医療技術の恩恵は計り知れない。

しかし一方で、少子化に歯止めがかからず結果的に産科医の減少を招いている。

「少子化対策」と「産科医の負担軽減」を同時に担うような「新しい助産所」ができたなら、介護・勧募の負担にあえぐ日本を、「健康な出産」から変えていく「健康革命」を推進することできるのではないか・・・という妄想に僕が取りつかれてしまうのは、「出産を助ける助産は、起業を助ける起業支援とそっくり」だから当然だ。

そして、一人一人を助けていくことが、やがて革命を成し遂げ、国を作っていくことを、ゲバラ・キューバは示している。

しばらくは貧しさと戦わなければならないかもしれないが、みんなが金持ちになる未来を、僕には描くことはできない。

なにしろ、金持ちになることで幸福になった国を、僕はまだ見たことが無いのだから。