売る と 買う が人をつなぐ

ビジネスにおいて[何かを売ること]はとても大事なこと。

ほとんどのビジネスは[いかにして売るか]の戦いと言っても過言ではない。

[売る]とは[買ってもらうこと]、そのための努力を[営業]と呼ぶわけだ。

僕たち人間は、相手に何かをして欲しい時、「自分が相手の立場だったらどうするか」を考えるようにできている。

だから[買ってもらう]ためには、相手の立場になってその逆・・・つまりどういう時に[買ってあげたい]と思うかを考える。

僕が[買ってあげたい]と思うのは、相手が僕を[買ってくれた]時・・・その時僕は「買ってくれたお礼に買ってあげたい」と感じるのだと思う。

このことを[報いる(むくいる)]という。

[報酬]とは、報に[酬いる(むくいる)]を加えた言葉、[情報]とは、相手の情(なさけ)に報いることだ。

人がお金を払う時、それは商品の品質や性能に対して払っていると思いがちだが、それは違うと僕は思う。

必要なものを買う時に、同じ買うならより良いものを安く買いたいと思うのは、それ自体が買いたい動機ではない。

人が何かを買いたいと思うのは、買わないと困るからであり、困る理由の中に[買ってもらえなくなること]が含まれるから面白い。

ビジネスの重要性はまさにここにある。

誰もが売る側と買う側の双方になることは、お金の損得だけでなく、[互いが報いる関係]を構築していると考えるべきではないだろうか。

なのに、現在の社会はどうだろう。

多くの人が売ることをせず、[買うだけの人=消費者]になっている。

[売ることをしない人]は、[買ってもらう]必要が無いので、[買ってあげる]ことと無縁となり、[誰から買うか]に意味がなくなる。

たとえ働いてお金を稼いだとしても、[誰かに買ってもらう]ことをせずに会社から給料をもらう人も[売っていない]という意味で[買うだけの人]と言える。

こうしてほとんどの人が[消費者]になったなら、きっと安くて便利な[通販]の比重が高まり、やがて小売りというビジネスは絶滅するだろう。

それでも世界が破たんせず、成立するのならそれもいいかも知れない。

だがそうなると、一部の売り手が大部分の人に物を売り、多くの人がその配分で生きていく・・・そんな経済って成り立つのだろうか。

すべての分野で最も性能の良い企業だけが生き残り、その製品を世界中の人が買うことが理想の世界なのだろうか。

答えはNO、そんな世界はご免こうむる。

僕が目指すのはまるでその逆の世界、つまり、誰もが売り手と買い手の双方となって、互いが相手に報いることで経済が成立する。

一部のビジネスは効率を高め、グローバル企業になるだろうが、他の大多数は小さくても独自に自立したビジネスで、金銭+αで助け合いながら生きていく社会を目指したい。

社会保障だ年金だと、他力にすがる人々の悲しい議論が、今日もテレビで繰り広げられていた。

「安心して老後を送るには、30年暮らすにはいくら必要か?」などと言うバカげたことを、人は本気で考えているのだろうか。

この30年を振り返り、今後の30年をどう考えているのか。

この泥沼から抜け出すためには、[消費者]をやめ[売ること]を始めることだ。

そのお金で生活するとか、誰かを養うとか、そんなことは先のこと。

まずは100円でいいから[買ってもらう商品]を考えて、それを[買ってくれそうな人の商品]を[買ってあげること]から始めたらどうだろう。