年金制度の是非

さて今日は、柄にもなく「年金制度」の話。

年金制度は、高齢期の生活の基本的部分を支える年金を保証する仕組みです。

実は先日、NHKの番組を真面目に聞いて、いろんなことを初めて知りました。

こんなこと、当たり前だという人も、知らなかった人も、ちょっと聞いてください。

まず、年金は「3階建て」でできていて「1階:国民年金、2階:厚生年金or共済年金、3階:企業年金など」となっています。

3階はオプションみたいなものなので、ここでは省きます。

1階は、国民全員が入る年金で、健康保険とセットみたいなもの。

これがあるから日本は「国民皆保険」が実現しているとなるそうです。

会社を辞めた後うっかり保険に入り忘れていても、国民は全員この保険に入ってることになっていて、後は手続きの問題だけ。

年金も、加入していないのではなくて、滞納していることになるわけです。

1階の国民年金の上には、サラリーマンのための厚生年金と公務員のための共済年金がありますが、この「1階と2階の違い」が、私にとって未知の話でした。

まず、1階の国民年金が「自由業を想定した年金」であるということ。

自由業の人は定年がないので、年をとっても働けるから最低の保証で頑張ってもらいます。

次に、2階の厚生年金や共済年金はサラリーマンや公務員には定年があり、老後は収入がなくなるので、現役時代にたくさん積み立てて、会社も半額負担して、扶養配偶者ももらえる仕組みになっています。

とってつけたように聞こえるかもしれませんが、こうした「前提」に基づいて年金は設計されていることは確かです。

「前提」とは、あらかじめ決めた未来のこと。

私たち国民は、誰もが最低限「自由業(=死ぬまで自分で何とか稼いでいく)」で生きていけるようになる必要があるわけです。

次に、会社や役所は、あらかじめ老後の分と扶養配偶者の分も必死に働かせる代わりに、年金の半分は負担しなければならないと考えられます。

だとすれば、すべての人に与えるべきは、「のチャンス」のはずですし、企業が非正規雇用を増やして「年金逃れ」をしやすくする制度はあってはならないはずです。

年金を作り、これを運用している政府が、自らこれを阻害するようなことをしていることは、間違いだと断言できます。

これが第1の発見です。

次に本題の「年金制度」についてお話しします。

「年金制度は、高齢期の生活の基本的部分を支える年金を保証する仕組みです」と初めに書きましたが、肝心なのは「年金を保証する」という部分です。

日本の年金は「拠出制年金」といって積立に応じて死ぬまで支払われます。

早く亡くなればお金は余りますが、長生きすれば積立以上のお金をもらえる・・・これが貯金と年金の違いで、年金制度とは「みんなでこの仕組みを守っていこう」というものです。

ですから、今日現在でも年金を維持するための計算がなされていて、支給開始年齢を変えたり、支給額を減らすのは、年金制度を維持するための手段です。

それでも「個人の貯蓄よりありがたいかどうか」が問題です。

これが第2の発見で、私は初めてこのことを真面目に考えました。

1つ目の発見は、年金の良し悪しでなく、年金を作る時に目指したことと、その後にやっていることが矛盾しているという問題点。

扶養家族とは何なのか、派遣労働とは何なのか。

実はいずれもが「雇用=企業が人を労働させること」に関する問題です。

「扶養と年金」を支援することが、人を奴隷でなく人間として扱うことなのかもしれません。

2つ目の発見は、年金制度の本当の是非について、きちんと議論していないという問題点。

実は年金制度をさせるのは、制度の欠陥でも見通しの甘さでもなく、国民自身がこの制度を見限り、年金を払わなくなることだと思います。

それじゃ、松村さんは年金に賛成なのか? 

私自身は年金をあてにせず、自由業で死ぬ瞬間まで働きたいと思っていますが、恐らくみんなにとっては貯金よりも年金の方がいい制度だと今回気付きました。

「若者たちが年を取った時に年金がもらえないとしたら、それは自分が払わなかったからではなく、その時代の若者が年金を払わないからだ」と、学校で教えるべきはこういうことです。

こうした本当の説明をしようとしないのかできないのか、そのことに私は強い怒りを覚えます。

本当の問題は何か、本当の解決策は何か。

自分自身の答えを持つことで、僕たちは人間になれるのではないでしょうか。

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