先日、淵野辺のトーコーキッチンを訪問した。
https://www.fuchinobe-chintai.jp/toko_kitchen.html
横浜で仕掛けているいづみプロジェクトのメンバーと一緒に、「まちビズツアー」というイベントのお試しを兼ねて参加者を募ったところ、二人の建築家が来てくれた。
トーコーキッチンとは、東郊住宅社の池田社長が立ち上げた食堂で、同社が管理する賃貸不動産の入居者やオーナーなどカードキーを持つ関係者だけが入れる食堂だ。
ある意味で、会員制のような閉じた施設なのだが、関係者の同伴ならば誰でも入れるので、カードキーを持つ人が施設と地域をつなぐ役割を果たしている。
これから横浜の反町でスタートする、新しいまちづくりプロジェクトにもちろんのこと、僕にとってもたくさんのヒントを提供してくれた。
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池田社長の面白いプレゼンを聞いた後、僕は参加者から感想と質問を求めた。
すると、Nさんが「トーコーキッチンは素晴らしい成功事例だと思うんですが、あえて失敗があるとすれば、どんなことですか?」と訊ねた。
これに対し、池田社長はすごく困った顔をして「ううむ、失敗と言われても思いつかないんですが、見込み違いでしたらいくつかあります」と、答え始めた。
僕は、このやり取りを聞いてすかさず割り込んで「皆さん、ここ大事なところですよ。失敗とは、うまくいかずに辞めること。」というと、「トーコーキッチンはこれからも継続していくので、成功や失敗は通過点なんです。」と池田社長も笑って答えてくれた。
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「成功・失敗」と「継続」は違うこと・・・と僕はよく説明するが、このやり取りをきっかけに、僕は少し変化した。
成功と失敗は終わり方のこと、言い換えると終わりには成功と失敗の2種類がある。
もちろん成功と失敗の間のような、どちらとも言えない半端な結末もあるだろう。
だが、「成功=失敗しないこと」ではないので、「失敗しなければ、いつか成功する」と言うわけではない。
つまり、いくら継続しても、成功で終わる保証はないということだ。
だとすれば、継続とは何だろう。
それは「成功を目指し続けること」かもしれないし、「失敗を防ぎ続けること」かもしれない。
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成功や失敗が結果なら、継続はプロセスだ。
結果はすでに終わって今はやっていないという意味で客観的だが、継続は今進行中の主観的=自分自身そのものだ。
結果を他人に評価されるのは仕方ないが、プロセスの真実は他人にはわからない。
金持ちを目指すプロセスが金持ちという結果を招いても、それが何もせずに楽な状態=プロセスを意味するなら、それが成功とは言い切れない。
豊かになったはずなのに、今の日本の貧しさが、それを如実に示している。
プロセスと結果をごちゃまぜにして、成功というきれいごとを目指すだけでは何も生まれない。
失敗を諦めず、見込み違いとして修正し続けることが「トーコーキッチン」の継続を生んでいる。
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プロセスを終えた結果など、墓標のようなものだ。
ノーベル賞を生きている人に与えるのは、それを結果でなくプロセスとするためだと僕は思いたい。
何を残したかでなく、どう生きたのかを知ることで、それを真似たり目指すことができる。
自分が今、何を継続しているのか。
そしてこれから、何を継続しようとしているのかを、しっかりと考えたい。