身勝手なありがとう

僕は、名刺交換するときに「来週から僕の迷惑メールが届きますよ」と挨拶して、毎週メルマガを送りつけている。

時々これを言い忘れ、お叱りを受けることもあるが、このやり方を変えるつもりはない。

そして、MailChimpという無料サービスを使っているので、約3割の人しかメールを開いていないことが分かるのだが、それも全く気にならない。

嫌われるかもしれない、読んでもらえないかもしれないメルマガを、なぜ毎週書き続けるのか。

それは、まことに身勝手ながら、皆さんを意識して情報発信することを自分に課すためだ。

もう一つの身勝手な取り組みが、地主の学校だ。

笑恵館のTさんから、「自分の死後もやり続けて欲しい」と頼まれた時、僕は不思議な感覚に包まれた。

相談を受けたのに答えを教えるのでなく、その解決を委ねられたという感覚だ。

この「自分が学ばなければならない」という感覚、これが当事者意識なのかもしれない。

地主とは、単なる所有者でなく、領主から土地の利用を任された人のこと。

僕は、自分自身が地主にならなければならない・・・と直感した。

なので、地主の学校は僕自身が地主を学ぶためのもの

地主について教えることで自分が学ぼうと考えた。

身勝手と言えば、こんな言葉を思い出す。

「僕はあなたを幸せにする自信なんかありません。でも、僕が幸せになる自信はあります」

これはマンガ・釣りバカ日誌で、ハマちゃんがみち子さんにプロポーズするときのセリフだが、僕にとっては衝撃的な名言だったことを今でもよく覚えている。

まず第一にこの言葉は「正しい」

この言葉は一見将来のことを述べているようだが、実は現在の現実を語っている

浜ちゃんから見ればみち子さんが幸せかどうか本当はわからない

だが、みち子さんと結婚できる自分自身は間違いなく幸せだ。

この現実が今、そして次の瞬間、そしてその後も続くなら、それはやがて未来となる。

そしてもう一つは、相手に教えるということは、相手に学んでもらうこと。

自分の中に生まれた理解を、相手の中に生み出してもらうことだ。

その意味で、みち子さんに対し「あなたのおかげで幸せだ」と伝えることがいかに大切なことかがよくわかる。

だから僕も、あえて言って見ることにした。

「あなたに教える自信はないけど、自分が学べる自信はあります」

こんな身勝手に、お付き合いくださることは、めったにない、ありがたいことだと思う。

だから・・・

このブログを読んでくださりありがとう。

僕のメルマガを読んでくれてありがとう。

僕の誘いに答えてくれて、本当にありがとう。