僕は「起業支援活動家」と名乗ることにしている。
それは、「起業と創業」は違うことで、僕が取り組みたいのは創業でなく起業の方だから。
創業とは「初めてのこと」への挑戦で、2回目以降は創業とは言わない。
だが、起業とは「従来と違うこと」への挑戦で、現状に行き詰まれば何度でも起業する必要がある。
世間では、起業と創業の違いなど気にする人はほとんどいないが、僕にとってはこの違いは重要だ。
なぜなら、僕が20年前に経験した建設会社の倒産は、結果としてその2か月後、新たな建設会社を生み出したから。
この新会社は今年で創業20年を迎えるので、社会から見ればこれは創業だったと言える。
だが、僕にとって建設会社というビジネスは2度目なので、創業の苦労などほとんどなかった。
むしろ、「潰れてしまった元の会社とどのように違う経営をするか」が僕の課題であり、そこで僕は「創業」の概念を持つことは無かった。
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僕が新たな建設会社を立ち上げて、どうやら軌道に乗りかけてきたころに、ある廃校活用プロジェクトからSOSが舞い込んできた。
2004年10月にIID世田谷ものづくり学校を立ち上げた会社(IDEE)の経営体制がその12月に変わってしまい、このプロジェクトを独立分社化させたいという。
僕が迷わずこの話に飛びついたのは、このプロジェクトを救いたいという思いだけでなく、僕にとっての「起業=違うことへの挑戦」だったからだと、今は思う。
というのも、ここで引き受けた「校長」という役割は、決してここを変えることでなくむしろ守ることだった。
経営体制が変化して本社からのサポートが無くなり、近隣社会からは強引な開業に対する不信が募り、運営スタッフたちの士気も下がる中、その逆風に立ち向かうという「守りの変化」が僕の役割だと思った。
そこで僕は、関係者たちはもちろんのこと、廃校の貸主である世田谷区とも良好な関係を築くため、積極的に語りかけた。
すると今度は、世田谷区から「区民の起業相談を受けて欲しい」と依頼が来た。
振り返ってみれば僕はこの時、自分の取組が「起業」だと気づいたのかもしれない。
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起業と創業の共通点は、いずれも本人にとっては「初めてで新しい」ということだ。
一方で、起業と創業の違いは、他の人にとっても「新しいかどうか」ということだ。
つまり、本人にだけ新しい創業は経験者や教科書などで学ぶことができるが、誰にとっても新しい起業は誰にも教わることができない。
だから、僕の「起業支援」とは、僕が教えてあげるのでなく、僕も一緒に考え、やってみることを指す。
新しいとは、まだ知らない未知のこと。
誰も知らない新しいことは、誰からも理解されず、認められないことが多い。
だから僕はまず本人に寄り添って、その価値や必要性を知ることで一緒に考えたいと思っている。
会社をつぶした後の20年、僕はずっとそんな活動に取り組んでいるように思える。
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「新しい」が未知のことなら、「古い」は既知のことであり、未来が新しくて、過去が古いというわけではない。
過去から新たなことを知り、胸がときめくことがあれば、古いままの未来に絶望し、希望が持てないこともある。
生まれたばかりが新しく、時間が経てば古くなるのは、時とともに未知が機知に変化して、次第に新しくなくなることを示しているに過ぎないと思う。
もしも成功が継続し、誰も行き詰らない世界なら、そこに変化の必要はない。
だが、現実の世界では、随所に悪い変化が発生し、放置していると僕たちは滅びてしまう。
例えば、呼吸や睡眠、食事や排せつをしなければ生き物は死んでしまうし、働いてお金を稼ぎ、互いに助け合わなければ、現代人は生きていけない。
残念ながら、現状のまま人口が増え続け、環境を破壊し続けていては、やがて人類は滅びるかもしれない。
僕たちは変化し続けなければならないのは、そんな恐ろしい変化を防ぐためではないだろうか。
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なぜ僕が、土地を相続や売却せず、永続的に活用する事業にこだわるのか。
それは、「起業は永続を目指す」からだと思えてきた。
永続とは、滅びないことであり、成功や失敗で終わらないようにすることだ。
創業が成功を目指すチャレンジなら、起業は継続を目指してチャレンジし続けることだ。
だから起業に終わりはない。
僕の支援活動にも終わりはない。