AB二人の子供がいて、Aの世帯と自宅で同居している親がいたとする。
そしてもう一人のBは、別の場所に住まいを買い、自立して暮らしているとしよう。
その親が何も言い残さずに亡くなれば、残された家は二人の子供が相続することになる。
仮に半分ずつ相続するとしたら、その家はどうなるだろう。
Bにはすでに住まいがあるが、Aにはこの家しか無いので、できればこれまで通り暮らしたいだろうが、それでは不公平となる。
Bにしてみれば、自分が相続した持分をAに買い取ってもらうか、売却するか、相応の家賃をいただくかということになるだろう。
これは、相続のほんの一例にすぎず、実際には数えきれないパターンがあるが、こんな簡単なケースでさえ十分に悩ましい。
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相続が悩ましい原因は、何よりも不平等ということだ。
1000万円の財産を二人で分けるという場合でさえ、親への貢献度を考慮すると半分では納得しない人がいる。
だが、この問題を解決できる人など存在しない。
正確に言えば、その人はすでにいない。
つまり、それを決めるべき人は、財産を残す側の人だから。
そもそも相続とは、財産や権利・義務などを継承することであり、単に貰うことでは無かったはずだ。
もしも、貰うだけのことなら、残す側が配分を決めればいいだけのこと。
ところが多くの人がその配分を定めずに亡くなってしまう。
結局残された人が残された財産を奪い合う争いをせざるを得なくなってしまう。
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僕の運営する笑恵館は、そもそも「子供には相続しない」というオーナーTさんの相談から始まった。
初めてそれを聞いた時、僕は一瞬耳を疑って聞き直したが、すでに家族の同意は得てあるという。
つまり、相続についての方針を、生前から説明しているということだ。
その理由はいたってシンプルで、自分の死後も笑恵館を継続するには、相続を受けた者の負担が重すぎること。
つまり、負担の継承は望まないということだ。
確かに僕が、この事業を引き受けたのは、その負担に見合うやりがいを感じたから。
正確に言えば、その負担を回避して、笑恵館事業の永続化の実現に挑みたいと思ったからだ。
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Tさんと設立した日本土地資源協会の趣旨に賛同し、現在参加されている会員を、僕は笑恵館を継承する家族だと思っている。
そもそも家族とは、財産や権利義務を共有する共同体のことであり、昔は財産を分割せず、家督としてまとめて代表者(主に長男)が継承した。
それが、戦後の民主化において個人主義の名のもとに家督相続は廃止され、相続は法定相続人への分配方式に変化した。
だが、日本の相続制度は基本的には「自由相続主義(被相続人が自由に相続人を選定し得る)」であり、「法定相続主義」はあくまで「遺留分」と呼ばれる相続財産の一部に適用される。
結局問題は、「所有者が財産を家族と共有せず、独占していること」だと僕は思う。
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Tさんが、娘に相続しないと事前に言ったこと自体、すでに共有を意識している証拠だ。
財産や権利・義務に関する情報を共有することが、まさに家族の証だと思う。
日本土地資源協会の経営会議で、会計報告にこだわるのもまさにそのためだし、考えてみれば、僕自身の家族を「なのに」という会社にしているのも、同じ発想かも知れない。
家族をメンバー全員で経営することこそが、本当の相続対策だと僕は思う。
さもなければ、相続は単なる遺産の分捕り合戦に過ぎない。