僕は今、毎月5万円の小遣いをもらっているが、ほとんど5万円の貯金をしている。
スーパーカブというバイクに乗っていて、これがリッターあたり60キロぐらい走るので、自宅から笑恵館までの往復が電車だと900円位かかるところ、カブだと100円程度で済む。
笑恵館には週3日通っているので、電車に乗ったと思えば毎週2400円、月に1万円位が浮いてくる。
今の僕は、このお金で暮らしているので、さっきの貯金ができてしまう。
いきなりお金の話をしたが、僕は暮らしが充実すればするほどお金がかからなくなってくる。
なぜだろうと思い、今日はちょっと考えてみることにした。
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お金がかからない原因は、たぶん欲しいものがお金を払わずに手に入るから。
それと、忙しいのでお金を使う暇が無いからだ。
そもそもお金を払って手に入るのは、モノやサービスなど自分で出来ないこと。
モノは自分で持っていないから買うんだし、サービスは自分で出来ないことをやってもらうこと。
だから、全部を自分で持っていて、全部が自分で出来ることなら、お金は1円もいらないことになる。
考えてみれば、昔はお金がなかったけれど、みんなそれでも生きていた。
アフリカのアンゴラという国は、いま世界で一番物価が高い国と言われているが、それは都会で暮らす金持ちの話であって、田舎で暮らす貧しい人たちは、そもそもお金を持っていないので関係ないらしい。
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ところで、お金が無くてもできることは、自分で出来ることだけでなく、他人にやってもらう方法がある。
そこでちょっと乱暴だが、人に無料でやってもらうことを「依存」と呼び、有償でやってもらうことを「サービス」と呼ぶことにする。
「自立とは依存する必要が無いことでなく、依存先にこと欠かないことだ」とは、東京大学先端科学技術研究センター准教授の熊谷氏の名言だが、人間同士の交流が、ある意味で相互依存だとすれば、そこでいちいち代金を支払う人などいるはずもなく、僕たちはすでに依存しあう人間関係の中にいる。
だとすると、依存とサービスの違いは何なのか。
確かにプロの技や高度な資格が必要なサービスもあるだろうが、誰でもできる掃除や子守などをサービスに依存する場合も多いと思う。
こうした誰にでもできるようなサービスを買う人は、依存先のない人とも言えるだろう。
依存先のない人が孤立しているとすれば、孤立はお金の力で維持していることになる。
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きりが無いので今日の話はこれくらいにしておく。
要するに、何を言いたいのかというと、お金があってもなかなか幸せになれないなと感じている。
お金で手に入るのは、「誰かにやらせて自分はやらなくて済む」ということだ。
つまりこれは「楽ちん」ということで、お金で買える数少ない幸せだ。
だけど僕は、この「楽ちん」には興味がない。
むしろちょっと大変で難しい方が、たくさんの幸せが待っている。
そして、他の人でも買えることにはさらに興味がない。
自分にしかできないことは、なかなか売ってないけど幾らでもある。
最近家に閉じこもって執筆しているので、ついこんなことを書いちゃった。