僕の活動拠点・笑恵館には、2階建ての古い木造アパートが建っていて、6部屋を賃貸しているのだが、先月から家族のご事情や結婚・出産などで退去が相次ぎ、秋に向けて半分の部屋が空室になるかも知れない。
これまでは、口コミや紹介などで応募者があったので、特に「募集活動」を行わなかったのだが、今回は募集室数も多くなるので、入居者の募集活動をしたいと思い、まずは地元の不動産屋さんに相談することにした。
入居に際しては、貸主である日本土地資源協会が独自の書式を用いて直接賃貸契約を結ぶので、業者さんには入居者の紹介だけをお願いするということで、報酬などの条件を詰めたいと考えた。
ところが、不動産会社からの答えはあっさり「NO」つまり、仲介は引き受けられないという。
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その理由としては、まず連帯保証人や入居制限に関する規定がないため、入居者とのトラブルが発生した時の対処が難しい点だという。
笑恵館はもともと「多世代の人たちが家族のように寄り添って暮らすこと」を標榜しており、高齢者や子育て世帯の入居を拒絶する気はないし、家族の関係を契約で細かく規定するよりも一緒にトラブルを乗り越えていく関係づくりに取り組みたいと願っている。
だが、そんな性善説に基づいた無防備な契約では、結局当事者双方の権利を守ることができず、顧客に勧めることもできないし、仲介者として責任も持てない。
また、笑恵館アパートはシェアハウスではないけれど、入居者がコミュニティに参加するという意味でシェアハウスと呼ぶならば、管理会社として施設全体を管理する必要があり、他社運営のシェアハウスの入居者を仲介するということは対応できないという訳だ。
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だが、こちらの説明をひとしきり聞いた後、彼は「弊社にも、とても誠実で好感を持てる方なのに、DV被害で身を隠すシングルマザーや、高齢者、外国人などで貸主の希望や条件に合わず入居できずにお引き取りいただかざるを得ないお客様がいるんです。そんな方にはぜひ笑恵館さんをご紹介したいと思いますがどうなんでしょう。」と付け加えた。
僕たちはすかさず「どうぞ、喜んでご相談に乗りますよ」と返事をし、資料を渡しながら「それで成約した場合は、紹介料をどれくらいお支払いしましょうか?」と切り返すと、「いえいえ、それは受け取れません。受け取ると、かえってこちらにも責任が生じますので」という返事が返ってきた。
このやり取りをしながら、だんだん僕は気持ち悪くなってきた。
いい加減なビジネスをしているのは、一体どちらなんだろうかと。
こうして、不動産屋さんから正式に仲介を断られたので、僕は改めて「笑恵館の宣伝方法」をまじめに考え始めた。
困った人を助けたいというチャレンジが、困りごとの巻き添えを避けるビジネスなどあてにしていられないと強く思うようになった。
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笑恵館は市民の交流を促進するためのプロジェクトだ。
なぜなら、人は親しくならないと困りごとや願いごとを打ち明けたりしないから。
孤立とは、そんな思いを打ち明ける相手がいないこと。
今や都会は、孤立した人が鎧を着たまま身を寄せ合って暮らしているとしか、僕には思えない。
困りごとを解消したり、願いごとを叶えることは良い意味で「幸せになること」だと僕は思う。
だからこそ、「まち」は「それが叶う場所」でありたい。
まちづくりとは、幸せになるための場所づくりだと言ってもいいと思う。
オーナーのTさんが名付けた「笑恵館」という名前は、この「幸せ」を「笑い」と言い換えたに過ぎないのではないだろうか。
だから、笑恵館は「笑い(幸せ)を恵む(叶える)家」。
僕は、笑恵館を増やすことで「幸せを叶えるまち」を作ろうとしているのだと考えるようになってきた。
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だとすれば、もっと「笑恵館を使って幸せになる方法」をきちんと説明する必要がある。
「駅からの距離、間取りや家賃」以外の価値で、「笑恵館に住みたい人」を増やす必要がある。
そして、「笑恵館が足りない」という問題を、地域社会に生み出す必要があるんじゃないか。
そんなわけで、笑恵館アパートの入居者を現在絶賛募集中…小田急線祖師ヶ谷大蔵駅から徒歩4分、古風な間取りの1DKで、家賃は68,000円~70,000円。
でも、このアパートには入居者を含む500名の家族(会員)がいて、互いの困りごとや願いごとを尋ね合うおせっかいなコミュニティがある。
すでに退去した人も、いつでも家族として帰ってくるし、今回退去する人たちも、ここで出会って結婚し、子どもが生まれて手狭になる人たちだ。
だから新たな入居者も、ここで幸せを増やして欲しい。
そして幸せになるためのまちづくりを、ここで一緒に手伝って欲しい。
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まちが幸せになるための場所ならば、そこが都会であろうと田舎であろうと関係ない。
そこに暮らす人たちの困りごとの解消や願いごとの実現に挑むこと自体が「まちづくり」なんだと僕は思う。
それが世代を超えて引き継がれれば、文化や伝統と呼ばれるようになるだろう。
なんだかワクワクしてきたよ。