さくまさんちで上海旅行の報告会をやって帰宅したら、9時すぎからテレビで「巨龍中国・14億人の消費革命 ~爆発的拡大!ネット通販~」という番組をやっていて、つい見入ってしまったら今度は10時から「ドキュメンタリーWAVE▽チャイナマネーが見る夢~中国 ベンチャービジネス最前線」という番組が始まった。
地デジとBSの別番組なのだが、僕の頭の中ではリアルな上海旅行とリンクして、混然一体と様々な思いが沸きあがる。
今日はそんな思いをホットなうちに書き留めておこうと思う。
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2つの番組は、いずれも経済成長の鈍化で、「世界の工場」から構造変換を迫られる中国の現状を描いている。
前者の番組は大卒者の1/3しか就職できない中で、今国策として政府が駆り立てる「ネット通販」に挑む若者たちを紹介する。
人件費の高騰などにより輸出競争力が低下する中国では、内需拡大の決め手としてこれまで取り残されてきた「6億人の農村人口」の購買力を目覚めさせるため、政府が民間企業と協力して、広大な国土の隅々に4万ものネット通販のサービス拠点の設立を計画している。
また後者の番組では、深圳の電子部品問屋の世界一の集積地となった深圳に集まるベンチャー企業の卵たちと、投資先を求めて集まる世界のベンチャーファンドたちのやり取りを描く。(細かい内容は番組サイトを見てください)
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日本から見ると、中国は20倍の国土と10倍の人口を擁する超大国だ。
「日本は中国の1割の人間でこれだけ繫栄した」と呑気なことを言っている人がいるが、それは過去の一時期の話であって、現在とこれからは全くそうではない。
その原因はある意味でのグローバル化だ。
日本は、グローバル化の手法により世界と取引することができたが、広大な中国ではグローバル化の手法により国内市場を拓こうとしている。
日本ではネット通販の売上は1200億円程度で頭打ちになっているが、中国は2015年で50倍の60兆円に達し、その後も成長を続けている。
ほぼ同じ手間をかけて作った通販サイトに対し、50倍の顧客が待っているのだからその差は歴然だ。
また、製造業が頭打ちとはいえ、その規模はすでにダントツの世界一で、深圳に集積する部品問屋の数は秋葉原などまるで相手にならない。
世界のITオタクが、欲しいものが揃う深圳に集まるのは当然だ。
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これは中国がもはや従来の国のサイズを超え、世界規模であることを意味している。
もしも先進国を日本、アメリカ合衆国、カナダ、ヨーロッパ、オーストラリア、ニュージーランドとするなら、その人口はおよそ12億人(全体の18%)だから、中国の14憶人は世界がもう一つできるようなイメージだ。
今回上海に行き、その「規模や数量」について各所で実感した。
高速道路沿いの工場の規模は、長さ数キロに及ぶものがいくつもあり、市街地での地上げや再開発の規模は東京とは比較にならない。
ゴーストタウン(鬼城)と言われるエリアを訪ねてみると、確かに空き家だらけで町は閑散としているが、まだ着々と工事をしている。
植栽もよく手入れされており、むしろ観光スポットとして人気があるようだ。
14億人の多くがまだ貧しいこと自体、成長の余地を残している。
もしかすると、世界は一つにまとまるのでなく、英語圏・中国語圏・イスラム圏という具合にいくつかの「10億人規模のマーケット」が形成されるのかもしれない。
そしてかつての領主たちに代わりマーケットを機能レイヤーごとに動かすのが、ごく一部のグローバル企業たちとなるわけだ。
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だが、今回の上海訪問とドキュメンタリーを見て、僕が気づいたのは、一獲千金の成功者ではなく、失敗者や庶民たちマジョリティ(大多数)の存在だ。
偉大なのは「マーケットそのもの」であり、彼ら(失敗者)の存在無くして成功者はあり得ない。
番組では「構造変換を迫られる」と説明するが、実際には当初輸出で稼いだ中国が、いよいよマーケットとしての国づくりに着手したのだと思う。
だからこそ、中国語が大切であり、中国流儀が大切だ。
話には聞いていたが、中国ではGoogleとFacebookはほとんどつながらない。
これまで僕は、こんな国のどこがグローバルなのかと思っていた。
しかし中国のネット通販マーケットはそれだけで世界に匹敵する規模を持つ。
むしろ、「GoogleとFacebookを排除した中国語環境」こそが世界最大のマーケットになりつつある。
スーパーに並ぶ品数・品種は明らかに日本よりも充実しているように思えたし、大型書店に並ぶ専門書は、どれも中国語表記で充実している。
実感として感じたのは、英語が通じにくいこと。
きっと若者は英語をたしなむのだろうけど、あくまで中国語による国づくりが基本であり、人真似と言われようと、何と言われようと、中国スタンダードが確立しつつあることを予感させる。
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一方、ゴーストタウン巡りの運転を引き受けてくれた現地知人によれば、交通事故などのトラブル処理にドライブレコーダーが欠かせないという。
警察の処理も慎重で、双方の言い分を確認するまで現場に触らないとか、道に倒れている人をうっかり介抱すると、暴行犯の濡れ衣を着せられるので誰も関わろうとしないとか、権利主張の話にはきりがない。
ネット通販に挑む若者たちも、顧客のクレーム処理と、通販サイトの評価システムの板挟みに苦しみ、失敗者は故郷に帰っていく様子が描かれていた。
ベンチャーキャピタルの支援を取り付けた若者たちだって、すべてが期待に応え成功するわけではない。
大気汚染がひどくなれば、政府が一斉に操業停止の号令をかける、そんな理不尽もまかり通る厳しい世界だ。
だがそんな厳しい環境に身を置くことこそ、かつて日本人が経験した活力だったのではないだろうか。
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生ぬるい助成金や支援の仕組みが、何度負けても挑み続ける強さを培ってくれるとは思えない。
僕は「夢破れ、故郷に帰った中国の若者たちが、これからどうするのか」にこそ興味がある。
中国はネット通販やベンチャー起業で若者たちを「救おうとしている」のではなく、「鍛えようとしている」のではないだろうか。
理不尽な社会で行き抜かなければならない厳しさも、やがてタフな社会を形成していくプロセスなのかもしれない。
僕自身、今年は試練の年になると思う。