新潟の旅・夏編

の夏休みに合わせて、8月19-21日の3日間、新潟-福島をドライブした。当初は、5月の連休に訪問した六日町のMさん宅と、新たに相談を受けた奥只見の温泉と森を見に行く予定だったが、最近になって奥只見の相談者のTさんが新たなロマンスで盛り上がり、「もう旅館も森もどうでもいい」ということになったので、2泊目は会津若松まで足を延ばし、その旅館の経営を脅かす新興ホテルチェーンに泊まってみることにした。メンバーは、カミさんと夫婦の両母親(83歳と80歳)の計4人で、完全にシルバーモードだったが、全員好奇心も食欲も旺盛で、僕のハードなスケジュールに文句も言わず付き合ってくれた。おかげさまで、「小さな元旅館」と、「新興ホテルチェーン」を比較する旅行ができたので、その様子を簡単にレポートしたい。

2016-08-19 12.10.05-1

(目黒邸 茶室)

第1日目は早朝に東京を出て、関越自動車道の小出まで行き、そこから只見線に沿って走り、途中無人駅の魚沼田中駅を訪れ、久しぶりに線路をまたいだ得意のポーズでプロフィール写真を撮った。越後須原の目黒邸(重要文化財)は、戦国時代から続く豪農の屋敷で、室内に縁台と露地を取り込んだ茶室は周囲を湧き水の池で取り囲まれ、真冬でもお茶会を催したという。こうした昔の工夫にはいつも舌を巻く。そこから小出まで戻り、西福寺開山堂へ。ここは「越後のミケランジェロ」の異名を持つ石川雲蝶の彫刻、絵画、漆喰細工など数々の作品が施されている。そして、ショッピングも兼ねて八海酒造を訪問し、社員食堂で食事をした。広大な水田に囲まれて会社施設が立ち並ぶキャンパスは、一般公開されており、開かれた会社のカッコよさを痛感した。

2016-08-19 20.07.59

(カジカ 丸焼き)

夕方まで遊んだあと、六日町のMさん宅を訪問した。以前も紹介したが、ここは10年前まで旅館経営していた母上が亡くなったため、旅館業をやめ、二人姉妹が住居として使っている。今は仕事に追われているが、やがて年を取ったとき、生きがいややりがいを生み出す活動の場にできないだろうかというのが二人からの相談だ。いわば「旅館型住居の住み開き」といったところだ。前回熱くて難儀した温泉は、とても良い湯加減に調整され、行きつけの居酒屋の旬のおすすめは、裏の川で釣り上げたアユとカジカと文句なし。現在3階建ての建物の1-2階の一部しか使用していないので、旅館機能を完備するのでなく、地元の料理屋などと連携すれば、遊休部分を活用した「旅館的な住み開き」が十分可能だと思う。まずはここの良さを知るために、僕自身が春夏秋冬を味わってみたいと考えている。次の「秋」は、キノコと紅葉かな。今度はみなさんをお誘いしたいと思う。

2016-08-20 10.56.00

(奥只見湖)

第2日目は、のんびり朝食をいただいてから、日本最大の水力発電量、日本最大級の貯水量を誇る「奥只見湖」へ。フィヨルドのような光景をめぐる遊覧船に乗ってから、秘境の中の樹海ラインをひた走った。やがて「桧枝岐村」に近づくと、水田の代わりにソバ畑が広がっている。村の中心で名物「裁ちそば」にありついてから、有名な「歌舞伎舞台」を見に行った。その後立ち寄った「塔のへつり」という景勝地には、会津鉄道のユーモラスな無人駅が森の中にポツンとあって、鉄道の魅力をどう守るかも課題だなと感じた。最後に立ち寄った「大内宿」は、江戸時代に会津西街道の宿場として開かれ、豪雪地帯ならではのゆったりとした佇まいと、街道の両側を流れる水路が特徴だ。現在では年間100万人以上が訪れる福島県を代表する観光名所となっている。険しい山をひた走り、会津若松には6時過ぎ到着した。

2016-08-21 09.15.13

(ホテル外観)

会津若松の東側、東山温泉にある東山パークホテル新風月は、伊藤園ホテルチェーンの経営する観光ホテルだ(面倒なので、実名で紹介します)。この会社は、2001年して競売にかけられていた伊豆の「伊東園ホテル」を当初は従業員の保養所として購入したが、購入後は改修して再開業へと方針を転換。以後、倒産や経営不振に陥った宿泊施設を次々に買収(いわゆる居ぬき出店)、格安ホテルとして再生させていき、2015年12月現在、伊豆(静岡県)を中心に、北海道から滋賀県まで、計44館の温泉旅館・ホテルを「伊東園ホテルズ」として運営している。このチェーンの主な特徴は、「365日同一料金1泊2食付」という独自の料金システムで、多くの施設ではカラオケやインターネット・囲碁・将棋・麻雀ルーム等の付帯施設が無料で提供されている。また、原則として旅行会社を通しての予約は受け付けず、公式サイト上のフォームまたは各ホテルへの直接電話による予約となっている。安価な宿泊費の実現のため、仲居無し。また、仕入れや、工事発注など、温泉街独自のルートに当てはまらなく運営を徹底しているとのこと。相談を受けていた大湯温泉の旅館も、同エリア内に参入してきたこのホテルチェーンにすっかり客を取られたとぼやいていた。

宿につくと、チェックインカウンターには宿泊客が列を作り、館内は活気にあふれている。宿泊費を前払いし、ロビーで浴衣を選んでから客室に向かうと、布団がすでに敷いてある。食事はすべてバイキングで、ソフトドリンクだけでなくアルコールもドリンクバー形式だ。バイキングの食事会場は、元は宴会場だったらしく両端はステージになっていたが、すべてテーブルが配置され、家族連れでにぎわっていた。大浴場はゆったりとしているが、施設は旧式のままで、傷んだ部分も補修せずにそのままの状態だ。下手にリフォームをせず、古い施設をそのまま利用しているので、特に違和感はなかった。一言でいえば、団体客や宴会客中心だった大型旅館・ホテルを、そのまま家族客専用に切り替えたという感じ。少しぼろいが、昔は仲居さんがずらっと出迎えるような立派なホテルだったことが伝わってくる。大型の観光施設が時代の変化に対応できないのは、施設だけのせいでなく、人的風土の影響が大きいのではないだろうか。

2016-08-21 14.06.15

(さざえ堂)

第3日目は、「会津武家屋敷」のあと「鶴ヶ城」を見学し、昼食は古い町並みを生かした「七日町エリア」でB級グルメを食べ、白虎隊で名高い「飯盛山」に向かった。この辺りは、先日NHKのブラタモリで見たばかり。随所にみられるまちづくりの工夫を、なぞって歩いた。中でも、飯盛山にある「さざえ堂」は、木造の2重らせん構造で、順路に沿って三十三観音や百観音などが配置され堂内を一巡するだけで巡礼が叶うような構造となっている。らせんの内側に居並ぶ観音様の下には賽銭投入口が用意され、33か所分の賽銭が、1階の集金箱に集まる仕組みになっている。域外で散財せず、地元でお金を落とす工夫には、タモリでなくても唸らされる。日曜日観光地以外は人影のまばらな市内を抜け、高速道路入り口付近までやってくると、ショッピングモールやホームセンターは大賑わい。市街地の空洞化は、いずこも同じだ。

盛りだくさんなドライブだったので、箇条書きのようなレポートになってしまった。だが、途中でも書いたとおり、この旅の本当の目的は四季の六日町を訪ねること。最低限「1年」を見なければ、その地域のことを考えるのは難しいが、それは面倒なことでなく、日本ならではのありがたいことだと僕は思う。全国をまたにかけたホテルチェーンの戦略とは正反対に、名もない旅館の住み開きは、ディープな日本を満喫する顔見知りのコネクションビジネスを目指すべきだと僕は思う。次回の秋の旅には、このメルマガ読者もお誘いしたい。六日町が色付いて、美味しくなる秋は何月頃なのか、きちんと確認して計画したい。