ワークライフバランスの行方

ワークを[働く]、ライフを[生きる]と置き換えると、[働くと生きるのバランス]って何だろう。

そもそも「ワークライフバランス」は、[働いていない人]と[生きていない人]が生まれたことが発端なのではないかと、僕は気づいた。

昔に比べると、現代社会においてこういう人が明らかに増えている。

確かに「職住分離」や「育児休暇」など企業ではその象徴的な現象が起きているが、そこは決して「ワークライフバランス」の主戦場とは思えない。

この問題に対し、どこか[他人事]的な感情を抱く原因はそのあたりに有るような気がする。

多くが語られている企業や職場という枠から飛び出して、社会全体を概観する議論をしてみたい。

問題の一つは[働かない人の増加]だ。

その根底には働きたくないという願望がある。

豊かさの一つの定義が[働かなくてもよい状態]のため、働かないことを目指すことは悪ではない。

様々な理由で働けない人もいるので、いつしか[働かなくてもよい]という社会の合意が作られたように思える。

現に[働けるのに働かない人]に対しても社会は寛容だ。

「働く意欲を持てる社会に」などという意味不明の言葉もまかり通っている。

もう一つの問題は、[生きていない人]の増加だ。

これは[死んでいる]のはないが、[生き生きとしていない]とか[生きている価値が無い]ことを指す。

死なないことが価値とされ、安全や医療はそれを目指しているが、死なないことが生きることではないだろう。

むしろどう生きれば死んでもよいか、死よりも価値のある生を求めること・・・言い換えると「どう死ぬか=生きること」と僕は思う。

働かないことは豊かさ、生きないことは死なないこと、この二つの価値観が混然と複合し、働いていない人と生きていない人の増加を許容し、是認し、促進している。

うつや引きこもり、育児や介護の負担、貧困やハラスメント、コミュニティや家族の崩壊など、今社会問題と言われるおよそすべてが「働かず死なない」という「夢」によって許容されているとするなら、それは何と皮肉なことだろう。

僕らは自ら望んで悪夢を見ていることになる。

ふと気づいて、[豊か]を辞書で引いてみた。

【豊か】

①(好ましい事物が)十分に備わって不足のないさま。豊富。
②財物が十分あって恵まれているさま。富裕。
③精神的にこせこせせず,ゆとりのあるさま。おおらかなさま。
④肉づきがよいさま。豊満。
⑤基準・限度を超えて十分にあるさま,余りのあるさまを表す。

案の定、かなり怠惰で腐ったイメージだ。一部の人には許されるかもしれないが、社会の全員がこうなったとしたら、それはひどい世の中になることは目に浮かぶ。

つまり今の現実がまさにそれ。豊かになった結果にすぎない。

だから僕は[働かず、死なないこと]など目指さず、[働いて、生きること]を目指したい。

もし、ワークライフバランスの議論が「どうすればあまり働かずに死なないでいられるか」に帰結するようであれば、僕はまるで興味はない。

そんな議論を覆すための活動であるべきだし、働き・生きることを分けて考えること自体無意味なのだから、最後にそのバランスは消滅するのだろう。

(まつむら塾より)