何かを決める方法には、次の3種類がある。
- ①何が良いか、考えて決める
- ②どれが良いか、選んで決める
- ③それでよいかどうか、適否を判断する
例えば結婚相手を決めるなら、相手候補がいなければ誰がいいのか考えなければならない①、相手候補が何人かいれば選ばなければならない②、候補が一人なら判断しなければならない③、ということだ。
一方で、この3つはプロセスだ。
つまり、僕たちは①→②→③の順にものごとを決めていく。
「決める」を「選ぶ」に言い換えれば①では無限の、②では2つ以上の、③では1つの選択肢があることになる。
だが、僕の意見はちょっと違う。
選択肢は、必ず3つ以上が必要だ。
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そもそも③の「判断」とは、何かの適否を決めること。
つまり、適と否の2つの選択肢から答えを選んでいる。
これに対する反論は、適否は単に反対を意味するので、1かゼロのようなもの。
一つの適否を考えるのと2つの適否を比較することは根本的に違うと。
それでは、反対とは何だろう。
男の反対は女だろうか。
では人間の反対は何か、ゼロは1の反対か。
さらに言えば、①の無限とは何だろう。
世界に女性は35億人しかいない。
実際、90歳の人と結婚したいだろうか。
本当に無限の中から選ぶ作業をするだろうか。
何かを「しようとすること」と「しようとしないこと」は反対だが、「すること」と「しないこと」は反対ではない。
選ぶことと選ばないことは反対ではない。
結婚することとしないことは反対ではない。
だから、「判断」とは2つの選択肢から答えを決めること。
選択とは3つ以上の選択肢から答えを決めることだ。
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分かれ道に行きついた時、左右どちらに進むのかを決めるために立ち止まったとすればそれが3つ目の選択肢であり、その後どう進むかには引き返すという3つ目の選択肢があることを忘れてはならない。
選択肢が2つしかないとき、それは選択肢がない①のケースだということに気付くべきだと僕は思う。
世界には無限の選択肢があるはずなのに、それを探さずに減らしてしまうのは、最後に一つを選ぶため、それは無理もないことだ。
だが、面白いと思える答えが無いときは、やはりちがう答えを探すべき。
それは「新たな選択肢探し」から始めるといい。