すごい世界の作り方

9月からビジネスリーグを再開すべく準備している。

「せたがや」を中心に活動してきたこれまでの形式から、どこのまちでも開催できる形式へとバージョンアップするにはどうしたらいいか。

なのに、正直に言うと作業がちっともはかどらない。

その理由は、今書こうとしていることは僕の本根ではないからだ。

僕が本当に言いたいことは別のこと、でも、そんなことを言ってどうするんだ、うんぬん、かんぬん。

と言うわけで(なんのこっちゃ!)、ひとりで悩んでないで、自分の意見を書いてみることにした。

ビジネスリーグ再開の本当の目的は、賛同者を大勢集めること。

では、何のためにそうするのか、それは・・・と、理由にはその理由があり、そのまた理由がある。

僕は人に賛同を求めるときは、「目的=何を目指すか」に対する賛同を求めるべきだと思うのだが、それは一体どのレベルの目的を指すのか。

自分の本当の目的を言わず、それを実現する方法の賛同を求めていたのでは、僕は大嫌いな「安倍首相」と同じことをしてしまうのではないか。

平和を守るために戦争をするような、巨大な嘘をつくことになってしまうのではないか。

一つの問題は、究極の目的と現実に実行する方法とは、遠くかけ離れたものになるということ。

僕の究極の目的は「日本をすごい国」にすること。

「すごい」とは「他とは全く違う」という意味で抜きん出たイメージだ。

それでは、他の国はすごくない方がいいのかといえばその逆だ。

むしろ、世界中が「すごい国」ばかりになればいいと思うし、同じ国など必要ないとさえ思う。

これを実現するのに戦争はまるで意味がない。

必要なのは自由な競争と、互いを尊敬し許容する心だ。

以前、無形文化遺産について「世界の文化に優劣はなく、価値という言葉は必要ない」という話をしたが、「互いが尊敬できるよう高め合う」・・・そんな競争をしたいと僕は願う。

そしてもう一つの問題は「究極の目的など本当に断言できるのか」ということ。

恐らく「僕の究極」とは所詮「現在の僕」にとってのそれにすぎない。

この目的はそう簡単に実現するものではないが、もしもその実現をイメージできた時、僕はきっとその先の何かを目指すだろう。

現に今の目的は、以前は見えていなかったものだ。

競争と尊敬が両立する多様性の価値に目覚めたのは、つい最近の出来事だ。

アメリカで同性婚が合法化され、同性婚が許可から権利に変化したのもつい最近の出来事で、日本社会はまだこのことを理解することすらできていないと思う。

自民党だって選挙にバカ勝ちし、どんな法律でも通せるイメージができなければ、その先の目的を語ることはできなかっただろう。

考えてみれば、民主党が政権を取ったばかりに豹変し、ダムを作り消費税を上げるようになったのも、こうした現象のひとつかもしれない。

結局僕にできることは、ありのままを語るしかない。

現在考えうる究極の目的が何か、その目的を実現するための手段は何か、そしてその方法は何かということを。

今日僕は、自分の意見を書いてみて、本当によかったと感じる。

今日書いたことそのものが、今僕が取り組んでいる課題の答えだ。

僕の目指す究極の世界を、身近な社会に置き換えたのが「ビジネスリーグ」だ。

自分の地域を高める国づくりこそがソーシャルビジネスの目的であり、ビジネスが競い合い互いを評価するのがビジネスリーグの目的だ。

そして、目的と手段と方法を明確にし、成功イメージを視覚化するというビジネスリーグのやり方は、きっと「すごい世界を作り方」に通じるはずだと、今、確信した。