村八分について、改めて確認。
地域の生活における十の共同行為のうち、葬式の世話と火事の消火活動という、放置すると他の人間に迷惑のかかる場合(二分)以外の一切の交流を絶つことをいう。
この[ハチブ]から[ハブる]という言葉が生まれたという説もあるらしい。
これは[Wiki]の引用なのだが、面白いのはこの先だ。
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そもそも地域生活には、十の共同行為があったというのだが、それは次の通りだという。
- 葬式の世話
- 火事の消火活動
- 成人式
- 結婚式
- 出産
- 病気の世話
- 新改築の手伝い
- 水害時の世話
- 年忌法要
- 旅行
確かに昔、まだ企業もビジネスも近代化する以前には、これらは地域の人たちが協力して行っていたのだろうが、今ではすべてが役所や会社のサービスになってしまった。
こうした変化が原因なのか結果なのかはわからないが、地域の共同体の存在意味が失われたのは明らかだ。
以前[町内会の活性化]という相談を受けた時に、僕はこのことを知った。
言ってみれば、これらはすべて町内会の仕事だったのに今や全てが不要になり、残されたのはお祭り、ゴミ、地域の防犯などだそうだ。
お祭りは衰退した寺社の代わりに、ゴミは昔無かったし、防犯は地域社会の孤立化が原因だとか。
大家族が核家族化して細切れになり、プライバシー保護が無縁社会を生み出したというのは極論かも知れないが、実際に必要が無ければ、いくら嘆いても地域コミュニティは再生できない。
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そこで僕は[あえて地域コミュニティに役割を与えたらどうだろう]と、ふと思いついた。
それがまさにこの[村十分]だ。
[これらのビジネスをこのまま人任せに放置せず、地域コミュニティが自分で取り組んでもいいんじゃないか?]が僕の意見だ。