だらしない街の魅力

4月9日から1週間、母・妻・妹と一緒にギリシャ旅行に行ってきました。

お正月の新聞記事で見つけた格安ツアーで、現地で3泊4日のエーゲ海の島巡りをして、残りはアテネを自由に見物するという内容の欲張りツアーでした。

ギリシャといえば、財政破たんで有名で、中心部でも空き店舗が目立ち、職を求めて海外に働きに行く人が増えたとのことでした。

なのに、現地は「のど元過ぎればなんとやら…」といった調子で、至ってのどかな雰囲気でした。

さて、いきなり「だらしない町」なんて失礼な題をつけましたが、率直に言ってこれが正直なギリシャの印象です。

まず、すべての道路が路上駐車で埋め尽くされていて、車はどれも傷だらけ。恐らく少しくらいぶつけても知らん顔なんでしょう。

聞けば、駐車場の設置義務がないために、路上が正規の駐車場らしく、地元の住民でさえ、うかうかしていると場所を取られて車を止められずに困っているそうです。

また、至る所に飼い主がいるとは思えない大型の犬が歩いていて…いえ、死体のようにだらしなく寝ています。

たとえば、国会議事堂の前の無名戦士の墓で閲兵の儀式をやっている真最中に、墓碑の正面でシェパードが死んで(寝て)いて、警官もまるで気にしていません。

夜の街の人気のクラブを覗こうとすると、入り口に犬が寝そべっていて、それを跨がないと入れません。

地下鉄のチケットはバス・トラム(路面電車)と共通で、1.4ユーロのチケットで90分間乗り放題です。

なのに、最初に乗る時に自主的に刻時するだけで、途中の検札はありません。

時々パトロールが回ってきて無賃乗車が見つかると60倍の罰金だそうですが、そんな様子は見かけたこともありません。

スーパーで買い物をしてレジで並んでいると、隣の美しい女性が購入したパンをむしゃむしゃ食べ始めるし、頼めばビニル袋はいくつでもくれるし・・・ま、とりあえずこのくらいにしておきます。

こういう状況を日本語では、まさに「だらしない」というわけですが、ではそれが悪いことか、不快なことかというと、「まんざらそうでもない」というのが意外な気づきでした。

道は車で埋め尽くされてはいますが、歯抜けの無い町並みと喧騒は賑わいと活気を感じさせます。

野良犬たちは悠然としていて、むしろ警官の代わりににらみを利かせている気がします。(むしろ、警官の方が軽薄でインチキくさい)

地下鉄に乗れば、必ず周囲の人が81歳の母を気遣ってくれ、年寄は物おじせず文句を言ってきます。

そして不愛想なレジのおばさんは、とても自然で健康に思えました。

こんなだらしない国だから借金まみれになるんだ…などと言う人がいますが、それではなぜ、これほどきちんとした日本の方がはるかに借金が多いのか?

細かい問題をいちいち解決して、問題の起こらない社会を目指す私たちが「だらしがない」と感じるのは、いちいち全部を解決せず「良い加減」な人たちを指しているのかもしれません。

ランドリソースが目指す「空き家の無い社会」とは、すべての家が「きちんと使われる」のでなく、「放置されない」ことだと思います。

「空き家」の問題は、それが不快であることです。

たとえ古くても、オンボロでも、楽しく・快適である「ギリシャの魅力」に、多くのヒントを見つけるなんて、ホントに面白い発見でした。