売りたくない価値

価格とは価値の値段のこと。

価値が高ければ値段が高い、、、これまで僕はそう思い込んできた。

だが、近頃僕は、この思い込みに疑問を感じるようになってきた。

それは、土地を無償で借りたり、もらったりという事業に取り組んでいるから。

価格が価値を示すなら、無償とは、価値が無いことを意味するはず。

だが、僕の所属する法人(LR)が借りたりもらったりするのは、世田谷の砧(笑恵館)や成城(一宮庵)の土地だ。

これらの土地に価値がないとは、到底考えられない。

そこで、土地を借りたりもらうとき、無償と有償の場合の違いを考えてみる。

まず初めに有償の売買について、「売買契約書の基本的な記載事項」を見てみよう。

第1条(基本合意)売買契約であることやどちらが売主、どちらが買主になるのか。

第2条(目的物)売買の対象となる商品名や個数。

第3条(引渡し)商品を買主に引き渡す期日、引き渡す場所について。

第4条(代金の支払)代金の額、支払期日、支払方法について。

第5条(所有権移転時期)売主から買主に商品の所有権が移転する時期をいつにするのか。

第6条(検査)買主による商品の検査方法や検査期間。

第7条(遅延損害金)代金が期限までに支払われなかったときに売主が買主に請求できる遅延損害金の利率。

第8条(瑕疵担保責任)商品に瑕疵(品質不良等)があった場合の対応について。

第9条(保証)瑕疵担保責任とは別に、売主が商品の品質等について保証する場合はその内容。

第10条(解除)いずれか一方の破産や契約違反の場合は契約を解除できること。

第11条(協議事項)契約書に定めのないことについては協議により解決すること。

第12条(合意管轄)売買についてトラブルが発生した場合にどこの裁判所で審理するか。

当たり前の話だが、売買契約書に中身は「売買のやり方」を定めるものだ。

だが、第8条と9条だけは、売買が成立した後も効力を持つことになる。

代金を支払う売買と支払わない譲渡の違いとは、そのやり方と、その後の責任の2点に分けられる。

まず、やり方についていえば、有償と無償の違いであり、金銭に関する取り決めが不要な分だけ無償の方が簡単だ。

だとすると、問題は後者の「責任」だ。

売買契約で定める瑕疵担保責任や保証など、無償譲渡には必要ない。

この責任については、商法第526条が次のように定めている。

1項:商人間の売買において、買主は、その売買の目的物を受領したときは、遅滞なく、その物を検査しなければならない。

2項:前項に規定する場合において、買主は、同項の規定による検査により売買の目的物に瑕疵があること又はその数量に不足があることを発見したときは、直ちに売主に対してその旨の通知を発しなければ、その瑕疵又は数量の不足を理由として契約の解除又は代金減額若しくは損害賠償の請求をすることができない。売買の目的物に直ちに発見することのできない瑕疵がある場合において、買主が六箇月以内にその瑕疵を発見したときも、同様とする。

3項:前項の規定は、売主がその瑕疵又は数量の不足につき悪意であった場合には、適用しない。

僕はもともと建築屋なので、この問題には敏感だ。

建築・不動産における瑕疵担保責任は、「6か月」では済まされない。

ここでは省略するが、民法第570(566)条に定める瑕疵担保責任は永遠に続く(実際は10年)。

ところが無償譲渡の場合、これらの責任は何も生じない。

正確に言えば、これらのすべての責任を逃れることを条件に無償で譲渡すればいい。

将来LRに対する無償譲渡(包括遺贈)を予定している笑家館や一宮庵には、瑕疵担保を含む責任は一切無い。

むしろ、無償譲渡を受けたLR(つまり僕)が、すべてのリスクも責任も引き継ぐことになる。

なぜそんな危険を冒すのか、それは「継承」とはそういうことだから…と僕は思う。

もしも、この譲渡を無償でなく有償で行うなら、それは一体何に対する代金なのか。

それは、瑕疵(見えない不具合)を除く一切の責任から逃れる代金ではないだろうか。

確かに物には価値がある。

銀座鳩居堂と、世田谷の笑恵館とでは、その利用価値、収益性など比べ物にならないだろう。

だが、現実にはどちらも地球表面の一部分であり、土地の価値に変わりはない。

その収益価値や利用価値を持つ所有者の利権に過ぎない。

さらに言えば、先ほど述べたとおり、所有者は瑕疵を含むすべての責任も持っている。

考えてみれば、すべてのものはもともと無償で、すべての費用はそこに関わる「人間の取り分」だ。

だとすれば、売買代金とは、その所有者に支払う「利権と責任との手切れ金」ではないだろうか。

人間以外のすべての存在は、無償で暮らしている。

物の価値を決めるのも価格を決めるのも、人間が勝手にやっていることだ。

だったら、それは誰が決めるのか?

そう、僕らは自分で決めればいい。

所有権とは、それができる権利のこと。

自分にとって価値が高くても、相手がそう思わなければ価格は下がり、自分に価値が無くても相手が価値を感じれば高い価格で売れていく。

この損得勘定が格差や諦めをもたらし、その結果が空き家や放棄地を生み出している。

自分が所有するからこそ、どんなに高い価格でも、売る気になれない価値を生み出すことができるはず。