他人の家族

には、少数ながら近所にあるN大の学生たちが出入りしているのだが、4年生はいよいよ卒業だ。

毎月月末は、笑恵館の入居者を招いて交流しながら家賃を徴収する食事会を開催しているので、今月はそこに近所の人や学生も招いて、ささやかな送別会を催した。

はじめに卒業生のK君とS君から挨拶をしてもらい、その後参加者の皆さんから一言ずつ送る言葉をいただき、最後にまた二人から感謝の挨拶をいただいた。

大学生からお年寄りまで、総勢約20人ほどの参加者たちは、笑恵館を自分の家と思ってくれる、ゆるやかな家族のような人たちだ。

出会いだけでなく別れもあり、変化しながら継続することこそが、家族が社会の構成要素であるための必要事項だと感じる。

笑恵館の前を通り過ぎるN大の学生は大勢いるのだが、笑恵館を訪れるのはほんの一部の好奇心旺盛な学生で、さらに常連メンバーとなったのは変わった3人組だった。

まず初めに来たK君は、僕が審査員を務めるチャレンジアシストプログラムという東京都の若者サポート助成制度に応募して、見事助成金を勝ち取ったのだが、その後うまく実施できず、報告会では惨憺たる結果を発表した。

僕は、彼の甘さを叱責したが、をきちんと報告する勇気を称賛し、「僕は君の大学の近所にいるからいつでも訪ねて来い」と誘った。

彼が笑恵館を訪れるのに1年近くかかったようだが、でも彼は、持ち前の好奇心と社交性で、笑恵館の関係者たちとみるみる親しくなっていき、次第に友達を連れてやってくるようになった。

K君が初めに連れてきたのは、パソコンお宅のY君で、3年生の頃からビジネスに目覚め、半ば休学しながら今回の卒業を見送った。

頭を金髪に染めてヘラヘラしゃべるY君は、高齢者たちの目には「今時の若者」と映ったが、PCやスマホの使い方を丁寧に説明するうちに「あなたお金を取りなさい」と言われ、30分500円でサービスを開始するとみるみる口コミでうわさが広がり、「神対応のY君」としてすっかり人気者となってしまった。

やがて高齢者の交流会やまち歩きイベントにも誘われるようになり、昨年春は「今度はN大の中を見てみたい」という要望に応えて、N大商学部で初となる地域住民の見学会を開催してしまった。

結局Y君は実家の埼玉から世田谷のオンボロアパートに引っ越して、小さなビジネスをスタートした。

ここは彼にとって、第二の実家になりつつある。

次に彼らが連れてきたのが、引きこもり系のS君だ。

彼は小学生の頃から学校に行きたくなくなって、中学はほとんど行かず、高校には進学せずに「高卒認定試験」を通過して直接N大に進学した。

笑恵館に来る前はもっぱらどこにいたのかと聞くと、小さな声で「ゲーセン」と答えていたが、これはむしろおばちゃんたちの好奇心を掻き立てて、一躍人気者になってしまった。

明らかに社交的に変化し始めたS君に、僕の「ちょっかいスイッチ」も入ってしまい、「激安海外旅行に連れて行くから、すぐにパスポートを取得せよ」と指示すると、小さな声で「ハイ」とうなずいた。

そんなきっかけで、僕とS君とY君の3人で昨年の春シンガポールを旅行した。

国立シンガポール大学に行くと、学校見学の親子と間違えられるので、おかげであちこちの建物に潜入することもできちゃった。

これも「家族効果」と言えるだろう。

S君は登校拒否で高校をパスしたが、Y君は受験に専念するために普通高校から通信教育に転入し、K君は香港で育った帰国子女と、結局彼ら3人は日本の教育制度からはみ出た3人組だった。

ある意味で、まったく共通点が無い、異空間に住む3人が、なぜかご近所の知らない人たちと親しくなるうちに、地域コミュニティの主要メンバーとして次の後輩たちを誘う立場となり、ついに卒業と旅立ちの日を迎えた。

「遠くの身内より近所の他人と暮らしたい」とは、家族と離れ、近所の他人で我慢するという意味じゃない。

むしろ他人と暮らす面白さや楽しさを求めているのだと僕は思う。